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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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No.53  阿保順子 『痴呆老人が創造する世界』 岩波書店 2004年

キーワード:痴呆老人、認知症、コミュニケーション


以前、病院に入院する認知症のお年寄りの日常生活を描いた羽田澄子監督の映画を見たことがあるが、本書は、文字でそのお年寄りの世界を描いている。

初めは、具体的なやりとりの場面がなかなか頭に描けない。だが、徐々にクリアにイメージできるようになっていく。病院の決められた生活のなかでもまた、お年寄りたちは、厳しく、切ない、それなりに刺激のある「社会生活」を送っている。その様子が、面白く、かつ、リアルにうまく描かれている。

看護のプロ・研究者でありながら、文化人類学者のようにお年寄の世界にさりげなく「侵入」し、コミュニケーションを試みながら、お年寄りの人間関係のパターンや人間関係の複雑さ、社会的な存在としての人間を観察している。

ケアの担い手もまた、こうした視点をもってお年寄りを理解してみてはどうだろう。

アルツハイマーや脳血管障害などによる認知症のお年寄りは、通常とは少し異なる意味世界にいる。生活不活発(?)がもたらす、短期記憶力の低下、見当識障害といった認知症状をもつお年寄りたちは、了解可能な生活をしている。本書のように、読み物としても面白い、社会科学の視点による実態報告としても興味深いものは、彼らについては書けないだろうか。
No36 上野千鶴子 『老いる準備――介護すること されることーー』 学陽書房 2005年

キーワード:老い、介護、ケアの脱私事化、ワーカーズコレクテイブ


いつものごとく、軽いエッセイのなかに、「なるほど」「そうそう」と思わせる一文多し。
たとえば、
フルタイムのワーキングウーマンの三世代同居率は、主婦のそれより高い。日本型家族制度が女性の社会進出を支えるという皮肉な背景。これを再生産の「アジア型解」と呼ぶ。

妻の背後に親がいる、結婚が娘にとっての親との分離を意味しないため、夫に強くでられる。これを実家の「ひもつき男女平等」と呼んでいる。離婚も容易になった。

非婚シングルで40,50代の男性と親の世帯がふえている。離婚してシングルアゲインになった男性も。親の介護負担を抱え、そういう世帯が介護虐待の温床になることを、保健師さんたちが報告している。これは近い将来非常に深刻な問題になるであろうと思われる(すでに、かなり顕在化しております)。

介護保険は、なぜ、女の不払い労働が食える労働に変わるか、という歴史的な実験。NPOは、企業法人をモデルとした組織形態、組織原理は企業法人に限りなくちかい。だから、ノウハウを使える男が元気になった。

しかし、市民事業体には、ワーカーズのような組合法人がふさわしい。所有と経営が分離しておらず、労働の自己管理ができる。コミュニケーションコストは高いが、労働の質を決定することができる。

市民事業の原点は、私が助かりたい、という動機から。互助、共助 人助けも自分のため。誰かに必要とされていること、自己満足でよい。


自己満足や個人的動機からの活動が、地域や社会の問題への関心に広がり、多くの人からは見逃されそうな、また、無視されてしまいそうな問題への対応にまでつながっていくには、何が必要だろう?


No25 天野正子 『老いの近代』 岩波書店 1999年

キーワード:老い、老人

      本書の1章「老人の入る席・子どもの入る席」で、著者は、日本の近代化がもたらした「老い」についてこう言う。
近代化は、流動的なライフスタイルに適応できず、居場所を失っていく社会的「弱者」としての老人を生み出す一方で、ビジネスや政治などあらゆる領域で、社会的「強者」としての老人層を作り出し、長老支配の構造の基盤をつくっていった。言いかえれば、近代化は社会的業績ないし成功を基準に、「意義ある老い」と「意義のない老い」という、老いの差異化と序列化を持ち込む役割をもたらした。

老人福祉法の第1章総則第2条では、「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として敬愛され、かつ、健全で安らかな生活を保障されるものとする」という文章がある。実績を残し、「社会の進展に寄与してきた」「意義ある老い」を生きる人は敬愛され、生活を保障される価値がある、そうでなければ、、、と、この文章を解釈することも可能だ。

これに比べると、1991年に第46回国連総会で採択された「高齢者のための国連原則」は、高齢者は高齢者であることだけで(なんら条件をつけることなく)、「自立」と「参加」、「ケア」、「自己実現」、「尊厳」のための種々の機会や条件を有すべきである、としている。

たとえば、「高齢者は、所得の至急、家族と地域社会の支援および自助を通じて、十分な食料、水、住居、衣服、ヘルスケアを入手する機会を有すべきである。」老人福祉法の総則第2条は修正したほうがいい。

さほど多くの人のお葬式に参列したわけではないが、高齢者のお葬式に出るたびに、著者の言う老いの序列化を感じる。参列者を多く集め、弔辞が読まれ、過去の業績が報告される老人と、身内と数人の隣人だけでひっそり終わる老人と。過去に社会的基準による業績がなかった女性でも、配偶者にそれがあれば序列は高い。
近年、こうした社会的儀式としての葬式を生前から拒否する傾向が出てきたのは面白い。

つい60年前、多くの若者は無念のうちに死を遂げ、「老い」を迎えることはできなかった。いや現代でも「老い」を迎えることができるのは、世界でみればごくわずかにすぎない。しかし今、私たちは、「老い」の意味を探る。(本書第三部「老いのパーフォマンスーー一人ひとりの意味場――」)本書が描くさまざまな「老い」をみながら、さて、自分の親は、また、自分自身はどうやって「老い」を迎えるのか。
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