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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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No77 
上野加代子 編著 『児童虐待のポリテックス ――「こころ」の問題から「社会」の問題へ――』明石書店、2006年

キーワード:児童虐待、貧困、児童福祉司

本書は、1990年代以降、大きな社会問題となった児童虐待に関するこれまでの言説が、児童虐待を「こころ」の問題、家族の病理としてとらえることで、対策と実践を誤らせるというポリテックスの機能を果たしていると批判している。

つまり、こうした言説は、児童虐待に関する子ども時代のトラウマ因果論という思考様式を根付かせ、犯罪も社会的弊害の根源も、過去に受けた児童虐待だとみなす思考、トラウマという解釈資源を広範に利用可能とさせた。

これにより、児童虐待は社会の予防的まなざしを必要とする家族の病として了解されるようになり、「社会」の問題としてとらえる視点は欠落してしまうことになった。その結果、児童虐待、児童養護問題の根底にみられる貧困への社会的関心が失われてしまった。

貧困を論じている岩田正美さんも、こうした主張に同感し、「貧困が単に貧困だけで終わらないこと、現代日本で『不利な人々』は貧困とはまた別の問題を同時に背負って生きていかざるを得ない」「多くの社会問題は、貧困問題の解決を視野に収めないとアプローチできない部分を、かなりのところ持っている」と指摘している(『現代の貧困 ――ワーキングプア/ホームレス/生活保護――』筑摩書房、2007年)。

本書の執筆者の一人である児童福祉司の山野良一さんによると、「児童虐待の時代」になって、分離の必要性の判断、一時保護のアセスメントがより重視されるようになり、子どもの安全が最重視されるようになった。90年代初めにはまだあった、保護者への共感をベースにした援助、家族の再生能力への信頼といったものよりも、今はまずリスクアセスメントが求められる。

そうしたなかで、できるだけ保護者の抵抗の少ない介入方法を考えたり、親の困っている問題へのアプローチをキーに援助をしていく、といったことがむずかしくなってきていると山野さんは言う。

社会からの指弾を回避するために、児童の保護に傾きがちになる児童福祉司という身でありながら、(児童福祉司であるからこそ?!)、彼は次のように述べている。「児童の安全確保は優先だが、保護者の権利や家族の自律性、インフォームドコンセント、地域での生活の継続性、といった社会福祉の価値は、無視されてもよいか、対象者自ら問題解決を切り開いていく力への信頼性を切り捨ててよいか」

子どもの安全を第一に考え(国家の代理人が)家族に介入するというパターナリズムと、家族の自律性の尊重とのバランスは、先進諸国では大きな問題である。イギリスでは、事件のあるたびに、このバランスが崩れゆれている。

山野さんの言うように、わが国では、「行政機関の介入性(パターナリズム)の問題が表面化することは、障害者運動を別とすれば実はほとんどなかった」「介入性の問題は置き忘れられてきたが、児童虐待は、家族への介入というイデオロジカルで倫理的論点をふくんでいるがゆえ、社会福祉の理念的なあいまいさやあやうさの課題に直面することをよぎなくさせ、福祉の理念を根本から問い直し、鍛える契機をもっている」

この問題について議論を深めるとともに、児童虐待への一律的な対策と介入援助ではなく、調査研究にもとづくきめ細かな対策と多様な実践モデルの開発、研修が必要ではないか。

保護者の相談の動機づけレベルでタイプ分けをし、タイプに応じた技法(外在化など)の活用を提唱している鈴木浩之さんのような研究が期待される(「虐待を受け止めがたい保護者に対する指導・支援モデル――対立関係の外在化とチェックリストを使ったアプローチ――」社会福祉学Vol46-2、2005年)

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