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No100 リンダ・ジンガロ、鈴木文・麻鳥澄江訳 『援助者の思想――境界の地に生き、権威に対抗する――』  お茶の水書房 2008年


キーワード: エンパワメント、実践家、自己開示、境界の地に住む実践者

本書で言う援助者とは、「境界の地に生きる」実践者、つまり、社会の周縁に追いやられ抑圧されてきた存在である/あった人々で、援助者としての役割をとる人々のことである。

アルコール依存症や薬物依存症などのアディクションをもつ/もっていた人々が、同じような問題をかかえる人々に対して援助者の役割をとることは、その人たち自身にとっての回復と維持を助けることになる(ヘルパーセラピー原則)。だから、アディクションの領域では、回復者がヘルパー、援助者として活動することは望ましいこととされてきた。

しかし、それは、社会の主流文化の価値や規範の枠内の話である。本書は、援助者が、そうした主流文化に絡めとられることなく、社会から「おぞましいもの」として周縁に追いやられ、抑圧されている人々をエンパワメントとすること、同時に、主流文化の価値理念や不公正・不公平を生む社会構造を指弾し、社会変革を追求するには、どのようであればよいのかを、問うたものである。

著者は、当事者が自身の物語を語ることがエンパワメントになるという単純な考え(エンパワメント至上主義)を批判する。主流文化にいる人々が理解できるよう語ることは、結局は 主流文化の期待に沿った語りを強いられ、傷つく危険性も高いのだ。それに、おそらく、主流文化に言い寄ったとして、当事者仲間から厳しいまなざしを受けるおそれも強い。

著者は、境界の地に生きる実践者たちに、「自己開示」に関するモデル事例を提示し、それについてどのように考えるか、自分たちはどう「自己開示」してきたのかを語ってもらっている。

境界の地に生きる援助者は、「本物」として「語ること」が権威をもつことであるとともに、危険性をもつことを十分に理解すること、そのうえで、力を奪われている存在とその被抑圧性を主流文化の人々が理解できるよう、周到に準備した「磨かれた物語」を自己開示すること。そして、語らないという選択も主体的選択として尊重すること。

著者は、エンパワメント至上主義は否定する。だが、境界の地を生きる実践者が「磨かれた物語」を語ることによって、周縁に追いやられた人々をエンパワメントすることは必要なことだとしている。

当事者が語りを通してエンパワメントすることが結果として主流文化に適合することになるという逆説を、著者は、境界の地を生きる実践者の「磨かれた物語」によって回避しようとしている。

トラウマについて「語る者のポジショナリティ」を論じた宮地尚子さんの「環状島」のモデルで言えば、死んで「内海」に沈んでしまわずに、かろうじて生き残って「波打ち際」に届き、そこから「内斜面」の陸地に上がって、言葉を発することができる者たちになり、言葉の力を増して、雄弁に語る「尾根」に登った当事者としての存在と、尾根の「外斜面」にいる非当事者(支援者や関心をもつ者)としての存在を合わせもつ、境界の地を生きる実践者。

「当事者性、発言権、証言者としての正当性、被った被害や抱える負担の大きさ」が大である当事者と、それが小さい非当事者の両方の立場を理解しながら、あくまでも当事者のポジションから発現していく。しかし、「尾根」の高みにいる非当事者でもある当事者としての実践家は、「波打ち際」にいる当事者にどう見えるだろうか。


回復者スタッフが専門家と対等にプログラムを運営しているアミティなどの実践例を学びたい。

本書のタイトルは、Rhetorical Identities: Contexts and Consequences of Self- Disclosure for ‘ Bordered’ Empowerment Practitioner である。
しかし翻訳本のタイトルは、「援助者の思想;境界の地に生き、権威に対抗する」である。

タイトルをこのように意訳したのは、訳者たちが、境界の地で生きる実践家よりもむしろ、専門家として主流文化にいる普通の援助職たちに(そして、研究者たちに)、メッセージを送りたかったからである。それは、著者が一貫して示しているような、「当事者を傷つけない」倫理意識と、「不公平・不公正をなくすための社会変革を目指す」倫理意識をもつことである。

エンパワメントを訳本のタイトルに入れなかったのは、ディスエンパワメントの機能をもつ行為すらエンパワメントとして語られるコンテクストがある以上、誤解されるおそれを回避したかったからではないか。
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