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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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先日、ある精神科ソーシャルワーカーさんからいろいろ話を聞かせてもらったなかで、気になったことがあった。

その人はベテランワーカーなのだが、最近の若いワーカーさんを見ていて、大丈夫かとちょっと不安になるという。


たとえば、地域包括支援センターの若い社会福祉士さんが、高齢者と同居している娘さんが精神疾患のある人で、サービス導入がむずかしい、対応をお願いできませんか、と依頼してくる。


では、その方はどういう方なのか、どういう生活をしてこられた方か、今、どんな状況なのか、面接して得られた情報を教えてほしい、というと、面接はしていないのでよくわからないとのこと。


どうも精神疾患があるらしい、というだけで、ほとんど情報収集しないまま、連絡してくる。可能な範囲での情報収集を行い、ある程度の見立てを試みてから、ここのところがよくわからないので意見をいただきたいとか、改めて面接していただけないか、というように連絡をしてくることが、連携や協働の前提ではないか。


それをやらないまま丸投げに近い形での連絡は、怠慢として非難すべきより、そういう方との関わりを学ぶ機会の喪失という憂うべきこと、といった話であった。


多職種連携や多機関協働など、連携や協働の言葉がソーシャルワーク界や、地域包括ケアの論議で飛び交っているが、実際にそれを実践するには、ポリシーとスキルが必要だ。


それらがきちんと伝わっていないのか、地域包括支援センターの求められる機能や職員の業務が拡大するなかで、振れるところがあれば振ってしまわないと仕事が成り立たないのか。それとも、その人が指摘するように、そもそも関係づくりがむずかしいと思われる人との関係構築を「面倒」として嫌っているのか。


おそらく、どれも当てはまるのではないか。専門職としてのソーシャルワーク教育や研修の問題、制度上の不備の問題、ソーシャルワーカーという専門職に関する認識の問題。
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思い込みを排するのはむずかしい。歳を重ねるごとにますます頭は固くなっていく。


先日、母のところに帰っていたとき、ご近所の方が来てくださって、3人でお茶をした。ご近所の方が作ってくださったおはぎを食べようとしたとき、母が、「入れ歯がなかった」と言って、洗面所に行ったのだが、「ない!」と言う。


朝食のときはあったはず。はて? 先日、やはり「ない!」と言ったとき、母の部屋に探しに行ったら、タンスの上に紙に包んで置いてあった。だから、今度も「そこだ!」と思って行ったのに、「ない!」「あれ?」


翌日は、2週間ぶりに帰京しなくてはならない。今日のうちに見つけなければ、、、
母は今、話していたことも忘れる。だから、今日は、私がいるからなんとかするけれど、ひとり暮らしの母は、明日は、まちがいなくパニックになってしまう。


必至になって探すのに、どうしても見つからない。タンスの後ろも、洗面台の後ろも、洗濯機の中にもゴミ箱の中にも「ない!」。ご近所の方にも一緒になって探してもらうが出てこない。。。

母は「そのうち、みつかるからいい」と言うが、絶対にそんなことは、、、


途中、どうしても外出せざるを得ないことがあり、しばし中断。帰宅後も必至に探すが見つからない。そのうち夕飯を用意するため、朝からそのままになっていたコーヒーカップを片付け、なかのコーヒーを捨ててカップをシンクに。それからお風呂洗いをしていたら、母が「あった!」と。


なんと、コーヒーを捨てたカップのなかに、母の入れ歯が残っていた。そういえば、食事の後、お茶を茶椀に入れ、そのなかで入れ歯を洗っていたことが、このところ何回かあった。。。


彼女の行動パターンをよーく思い出せば、思いつくことができたはず。タンスの上かどこかに置いたと思い込んでいた。パニックになっていたのは私のほうかも。結局、この日も探し物で1日が終わり。あーあ。
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