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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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No102  西條剛央 
『SCQRM ベーシック編 研究の着想からデータ収集、分析、モデル構築まで:ライブ講義 質的研究とは何か』
『SCQRM アドバンス編 研究発表から論文執筆、評価、新次元の研究法まで:ライブ講義 質的研究とは何か』
新曜社 2008年

キーワード:構造構成主義、質的研究法、関心相関的観点、科学性


本書は、『構造構成主義とは何か――次世代人間科学の原理――』(北大路書房2005年)を著した西條剛央さんが、構造構成主義にもとづいて、質的研究の科学性を担保する方法を、きわめてわかりやすく解説してくれている良書である。

SCQRMとは、Structure- Constructive Qualitative Research Methodのことで、構造構成的質的研究法を指す。

科学性の条件は、「(事象を)概念化したうえで構造化すること」と「構造化に至る過程を明示すること」の2つ。つまり、一回起性の現象についても、それをうまく理解、説明でき、予測や制御につなげられるような構造を構成することができていること、また、その構造化に至る過程を他者が吟味できるように、すなわち、研究における知見が他にも当てはまるかどうか検討できるような提示のされ方になっていること、この2点が担保されれば、質的研究は事例研究であっても科学性を保持していると言える。

では、質的研究において現象の構造をどのように抽出すればよいのか。西條さんはベーシック版では、M―GTAを使って説明している。

構造化に至る軌跡については、研究目的に照らし合わせつつ「選択し想定できるポイント」「構造化に影響したと考えられるポイント」ごとに諸条件を示せばいいとしている。

事例分析における構造化に至る軌跡の提示の仕方は、西條さんが「人間総合科学会詩」に載せている「就職活動における自己アイデンティティの変化過程:構造構成主義に基づく事例研究モデル」が参考になる。

本書は、大学院修士課程における演習をそのまま文章化したという形になっている。図表による説明もあり、調査研究についてのイロハから、論文の書き方、評価の仕方まで、構造構成主義にもとづいた方法を懇切ていねいに教えてくれている。

修士論文で質的研究をやろうとしている人にも、福祉の実践現場で自分の仕事をどうやってまとめていこうかと考えている人にも、すこぶる役に立つに違いない。

「構造構成主義」については、『構造構成主義とは何か――次世代人間科学の原理――』を読んでください。EBPかそれとも内省的実践か、ソーシャルワークにおける今話題のテーマについて、この本を読めば、この信念対立を解消することができる。
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No101 河合幹雄『日本の殺人』 ちくま書房  2009年

キーワード:殺人、嬰児殺し、介護殺人、更生保護

日本の殺人の全体像がデータをもとに語られている。データの解釈についてもていねいだ。取調室でのビデオ撮影、死刑制度にかんする意見も非常に現実的。理想よりも、現実として何が大事なことなのか、何が効果的、効率的であるのかを考えて主張している。

あらためて、日本の殺人がアメリカなどと比べて特異であることがわかる。その最たるものは、家族内の殺人の多さだ。たとえば、2004年1年間で、実子殺し129件。実父母殺しは116件。統計上、親族による殺人が57.2%、非親族による殺人が42.8%

「家族は人の命を生み育てるところであるとともに、命を奪う可能性をもっているということ」という一文がひどく説得的である。

児童虐待の相談通報件数が急増しているが、嬰児殺しは80年代から減少しており、殺人事件の減少の半分を占めているとのこと。このことから、90年代以降の児童虐待問題のクローズアップは、子殺しや重症の虐待事例よりも、予防的観点から広く網をかけ、「子育て支援」の視点から取り上げていることが推測できる。

そういえば、ある児童養護施設のスタッフから聞いた話からは、重症の虐待となる前の段階で入所してくる被虐待児が増えているという印象を受けた。経済的理由や子育て能力が不十分などの理由から児童養育が困難な家庭に代わって、施設が一定期間子育てをし、児童の力がついてきたところで、できるだけ家庭に返していく、そうした方向性である。

他方、「介護を苦にした」殺人事件は、「かつてはまれであったが、今かなりの数にのぼるパターン」として増えている。主に、主婦が加害者で、心中しきれなかった、という例が目立つと言う。「親を世話するのに疲れ、関係が煮詰まった場合」が多く、「加害者に同情しにくい事例ではあるが、檻のなかに閉じ込めるべき犯罪者ではない」としている。

家族・親族間の殺人が多いことからも推測できるように、殺人を犯した人たちがみな死刑や無期懲役となるわけではない。では、塀の外の更生はどのようにしておこなわれるのか。

「どのような犯罪をどのような事情でおかしたのなら更生しやすいか、という発想は、本人が自力で立ち直ることを想定している」が、実際には、「10年以上刑務所にいた人は、職はなく、人間関係も切れており、「ほっておいて自力で生きていける人はいないと認識すべき」と著者は言う。

更生に成功した事例の共通点は「過去におこした事件にではなく、出所後に支援してくれる人がいた」ということである。世間は冷たい。保護司や地元の中小企業のオーナーなどの一部の篤志家と、プロの保護観察官たちに支えられて彼らは生活をする。一般の人々とは交わらない社会的境界が存在しているのだ。

ところが、いまやこのサポーターの存在やその支援機能が弱まるとともに、従来の支援のやり方が通用しなくなったと言う。一般の人々が、犯罪数が減っているにもかかわらず、体感治安が低下しているのは、この社会的境界が明瞭なものではなくなってきたことが背景にあるということなのだ。
従来のサポート体制が脆弱化し、世代や民族の違いなどから従来の支援方法が通じないこともますます増えるなかで、世間が冷たさをいっそう強固にしていくとなると、更生保護はどのように変わっていくのだろうか。今後も成り立つのだろうか。

著者は、裁判員制度の導入は、私たちが「お任せ民主主義から脱皮して、当時者意識をもっていく」よい機会だと評している。更生保護のあり方についても、私たち市民が当事者意識をもって考え、物を言っていくことが求められている時代なのだ。

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