FC2ブログ

Book+

福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
宮田啓一編 『児童虐待のブリーフセラピー』 金剛出版、2003年

キーワード:児童虐待、ブリーフセラピー

本書には、宮田による総論「虐待問題へのブルーフセラピーの適用」と、基本的なアプローチやポイントを示した基礎編に続き、実践編として、事例を用いた援助方法・アプローチの紹介や、事例対応から学んだポイントを提示する論文が8本掲載されている。

これらの実践編の論文のなかでも、下記の諸論文は、興味深い援助事例を掲載している。
柴田研「施設入所中の子どもと施設への援助」
永島正治「筆談によるささやかな援助」
井上直美「家族と共に安全な養育を作るアプローチ」
宮井研冶「『私のやっていることは虐待ではありません』と訴える母親から教えられたこと」
春原由紀「親へのグループ・アプローチ」
衣斐哲臣「親子分離から家族再統合へのブリーフ・アプローチ」

どれも、アプローチの原則は押さえるけれども、利用者/CLの資源を引き出すよう、利用者/CLとの関係性をつくりあげながら、柔軟に対応している、という印象がある。技術の「型から入って型から抜ける」、という域に達している支援者たちなのだろう。

ところで、虐待事例では、問題・ニーズの認識がない/認識しようとしない/否定しようとするCLが多く、これが支援困難状況をもたらしている。こうした人と援助者の関係は、ソリューション・フォーカスト・アプローチでいう、コンプレイナント関係やビジター関係である。こうした関係を、どうやって解決を目指して協働できるカスタマーの関係に変化していけばよいのか。

利用者/CLをコンプリメントしていくか、CLが意識している生活問題/要望に応えることを通して関係性を作っていくか、CLがニーズを語れるように聞いていくか、まずはカスタマーとしてやってくる親族や援助職との協働を図ってCLを取り巻くシステムを変えていくか、、、、

基礎編にある井上薫「子ども虐待対応のためのサインズ・オブ・セーフテイ・アプローチ」で紹介されているのは、法制度の利用である。利用者も援助者も法制度に拘束されており、その制度から求められている役割=目標に対して協力関係で取り組むことが求められているのですよ、だから共闘しようではありませんか?共闘しないと子どもと別れさせられますよ/別れたままになりますよ/私たち援助職がいつまでも関わることになりますよ、私たちでそうならないようにやっていきましょう/私たちが関わらなくていいようにしましょうよ、と大きな枠をはめてパートナーシップを打ち立てようと言うやり方である。

たしか、児童相談所の鈴木さんがこれで実践した例を示した論文があった。有効性が高い方法のように見える。しかし、強制的にパートナーシップを作っていこうとするものだから、言葉の使い方やペーシングなどの対人スキルを使わないと、失敗するおそれも高いのではないか。

現状は「虐待/虐待のおそれあり」の状態である、と家族に「告知」するに等しい方法であるから、児童虐待事例のうちでも、強い態度で介入せざるを得ない重症度の高い事例について使う方法なのか?それとも、程度には関係ないのか?

この方法高齢者虐待に使えるだろうか?児童のばあい、親が子どもを離したくない、とられたくない、かえしてほしい、という強烈なニードがあるから、使えるし使いやすいだろう。面子や自尊心からもあるだろうが、それぞれの親なりの愛情からもそうしたニードが表出される。

だが、高齢者の場合、成人した子供が年寄りを離したくない、とられたくない、というのは、年金を搾取している場合か「共依存」の場合だ。身体的虐待や心理的虐待がある場合、他人が面倒みてくれるのなら、みてくれたほうがいい、とあっさり言う場合が少なくないかもしれない。

それに、高齢者の場合、援助職としての地域包括支援センター職員を初め、ケアマネジャーもデイサービスセンターの職員も、家族は家族なりに介護や世話をしているから、その人たちに法制度にもとづく「虐待」の枠を設定することは避けたい、「虐待」と見ていることは伝えたくない、という思いが強いように見える。

では、この方法は高齢者の場合は使えないのか?児童虐待のブリーフセラピーから学べるものは何だろうか?

なお、ソリューション・フォーカスト・アプローチにおける重要技法としてのコンプリメントを、宮田は、よい点をほめるとして実施すると、わが国では、作為的とか、大袈裟とか、苦悩が理解されていないとクライエントが感じることもありうる、だから、クライエントの資源に感動して、支援者が「感心すること」としたほうがよいと述べている。なるほど。

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。