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番外編 No6 「相談件数」

さきごろ、厚生労働省が都道府県を通じて集約した、全国の自治体の高齢者虐待相談・通報事例に関する発表を行った。1829の市町村で受けた平成18年度の相談・通報件数は18,393件だったとのこと。

これは、「市町村(直営の地域包括支援センターを含む)の窓口での相談・通報と、委託された民間法人の地域包括支援センターでの相談・通報とを合わせた数字」のはずである。

児童虐待の相談・通報件数はたしか30,000件を超えているから、児童と高齢者の実数の違いからいって、この数値はかなり低めで、実際には暗数(潜在的な事例の数)が相当多いだろう、と想像される。

だからもっと啓発を、と言いたいのではない。ここで指摘したいのは、相談・通報件数のカウントの仕方に問題があるということだ。高齢者福祉領域に限らないが、なにを相談件数としてカウントするか、どのようなカテゴリーの相談としてカウントするか、ということは意外にむずかしい。

たとえば、行政のほうで、「虐待ではないか?」と相談・連絡・通報があったものはすべて相談・通報件数としてカウントするように、と自治体内の地域包括支援センターや子ども家庭支援センターなどに「指導」したとする。

すると、あるセンターでは、最初の相談者/通報者の話のなかに、「虐待」というキーワードが入っていれば、後から実は虐待ではなかったということがわかった場合でも虐待相談件数としてカウントする、だが、最初の相談の際に「虐待」というキーワードが入っていなければ、後日、虐待事例であったとわかってもなんとか対応できたといった場合、これを虐待相談としてカウントしない、ということがある。

別のセンターでは、その逆で、相談の際にこのキーワードが入っていても、情報収集や調査によって虐待事例だと確認した事例だけカウントする、あるいは、キーワードが入っていない相談でも、受けた相談員が、これは虐待事例であると判断すれば、虐待相談としてカウントする。

こうして、同じ自治体のなかにおいてもセンターによってまちまち、ということがありうる。

また、そもそも、なにが虐待事例か、という判断がむずかしい。判断がしやすいと思われる身体的虐待であっても、微妙なていど、というものはあんがい多い。判断基準を示すマニュアルなども多く作成されてきているが、それをあてはめて現実を解釈する際には、判断する個人の価値観(家族観、ケア観、倫理など)や立場、経験が大いに反映する。

発見をし、一報を入れる可能性の高い、ケアマネジャーさんや、ケアワーカーさん、あるいは、保育士さんたちのなかには、介護者や子育て中の親の苦労・苦戦を見ているから、それを虐待とはとらえたくない、という心理も働くだろう。

個人で判断するのではなく、複数の目で、あるいは、チームで判断しよう、と言っても、実際の現場を見たのは、ひとりということもあんがい多い。複数で確認しよう、と言っても現実には無理の場合も少なくない。

ということで、全国レベルでの相談・通報件数となると、個人差やセンター間の差が相殺されてほぼ妥当な数値になるといえるかもしれないが、個々の自治体の経年推移をみるとなると、果たしてこの数値を確かなものとみなしてよいか疑問がでてくる。

相談・通報件数のカウント基準、その共有方法について、関係者はもう少しセンシィティブであってよいと思うのだが、いかがなものだろう。ソーシャルワーカーら、実践家にとっても、この相談・通報件数は、そのパーフォマンスの一端を示すものなのだけれど。

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No80 見田宗介 「近代の矛盾の『解凍』――脱高度成長期の精神変容――」 思想10月号、2007年

キーワード:日本人の意識、世代、近代、精神変容、近代家父長制家族

日本の優れた社会学者のひとりである見田先生が、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査データを用いて、日本人の意識構造の変化を大変面白く解説してくれた。

どの時代に青年期を過ごしたかという、「世代」の意識は時代が変わり、年齢が高くなっても、それぞれほぼ一貫した特徴を保ち続けるという「世代論」が、データで示されていて興味深い。

1970年代までに、人間を形成してきた世代は、人間の歴史は「加速度的」に変化していくものだという「常識」があったけれども、それは、人間の「歴史の論理曲線の第Ⅱの局面=近代という名の大爆発期に固有のことがら」で、歴史は人々の意識よりや早く、第Ⅲ期の「脱近代」/「安定平衡期」に向かう減速を開始している、のだ。

この第Ⅲ局面以後の世代においては、<近代家父長制家族>のシステムと、これを支えるジェンダー関係の意識の解体が、もっとも目立つ意識変化の領域だと、見田先生は指摘する。

これは、1970年代からの30年間において生じた、「高度成長期の社会の要請する生の全域の生産主義的な手段化=合理化、とりわけ、社会の基底における集約としての、<近代家父長制家族>のシステムと、連動する精神の全領域の、音を立てての解体」、巨大な「潮流」なのだ。

「近代の原的理念であり欲望であった『自由』と『平等』の理念を封印するシステムであった<近代家父長制家族>」。「近代の原的な理念と、近代の根幹的な原則(合理化)との矛盾を体現してきた<近代家父長制家族>」

「人間の歴史の第Ⅲの局面としての『未来』社会と精神は、この矛盾が『解凍』され、合理化の圧力から解き放たれた『自由』と『平等』の理念の実現という方向性をもつ」という仮説である。これを証明する材料は、福祉分野でも芽生えていると言ってよいか?

「<戦闘の体制>ではなく<共生の技術>としての合理性が、安定平衡の局面を生成しつづける力をもった合理性」として重要という指摘に、改めて納得。
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