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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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No79 加藤悦子 『介護殺人――司法福祉の視点から 』クレス出版、2005年

キーワード:介護、高齢者虐待、司法福祉

近年、介護者による高齢者殺害の事件を地方新聞などでよく見るようになった。介護者がバーンアウト状態で殺害に至る事例、それまでの虐待がエスカレートした事例、いろいろだ。

加藤さんは、供述調書を含む多様な情報をたんねんに拾って、どのような経過と心理状況で介護殺人という事態が引き起こされるになったのか解釈し、それを防ぐにはなにが必要であったのか、を論じている。

博士論文をもとにした本のようで、地道で堅実な研究スタイルをとっている。事例の紹介はていねいだ。目からウロコの新しい分析視覚と結果はみられないが、今、何が必要か、という点を、貴重なデータをもとに改めて指摘した点は高く評価できる。

認知症と失禁を含む排せつの問題は、家族ひとりでの対応を超えた問題で、女性なら、家族なら、だれでもができる/「すべき」ケアの域を超えたタスクである。いくつかの感想のうちで、真っ先に思ったのがこれだった。
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オーストラリア、ハモンドグループの瀬間さんが発信されているニュースから、最近の高齢者虐待防止の動きに関する情報を以下に引用させてもらいました。


ハモンドケアグループ・認知症サービス開発センター ニュース 2007年8月

豪州における高齢者虐待について
約2年前、豪州・ビクトリア州のナーシングホームで入居者の虐待が起こり、それをきっかけとして虐待防止に対する法律の改正があり、本年7月1日より、高齢者ケア施設で虐待が判明した場合、警察に通報しなければならないという義務が課せられた。

このため高齢者ケア分野では現在、高齢者虐待に対する見直しが余儀なくされている。
(通報義務は、現在入居施設のみ対象となり地域ケアにおいては、この対象外である)
ある高齢者ケア施設では、専門職員が虐待であると見分けられるような教育が現場で提供されている。

開業医に対しての高齢者虐待についての啓発活動の内容
開業医が虐待が起こりやすい状況とはどういうものであるか理解してもらう
その虐待が起こりやすい危険因子(Risk Factors)の把握
1:介護依存度の高いお年寄りの存在
2:薬物とかアルコール中毒などの問題を抱えている人が家族にいる。または精神疾患・心理的な病理抱えている家族がいる場合
3:家庭内暴力の既往がある
4:介護者のストレスが高まっている
開業医は、これらの状況において虐待が起こりうることを意識し、次の第2ステップとして、クライエントのうちみ・傷などの有無について観察を行なう。
開業医が使えるアセスメントシート等のスクリーニングツールの開発を考えたが、虐待の事例の発見率が高まったという研究報告はなく、開業医の気づきを高める方が効果があるといわれている。

***
開業医に理解してもらう運動を展開する、日本では一番欠けていることではないでしょうか。厚生労働省がイニシアティブを発揮すればよいのでしょうが、都道府県レベルで進めていくこともできるはず。

No78 上野千鶴子『おひとりさまの老後』法研、2007年

キーワード;シングル、老後

うまいタイトルをつけるものだ。上野千鶴子がどういう人かほとんど知らない80歳の知人(女性)が、タイトルに惹かれ、買ったとのこと。彼女はめったに本を読まない人だから、ちょっとびっくりだ。
7月に発行して1ヶ月しないうちに7刷り。若きシングルも、中高年の1人暮らし老人予備軍も、そして、現役1人暮らし老人も、多世代の女性が、それぞれに不安を抱えているからなのだろう。

「病気になっても寝たきりになっても、その状態で生き続けられることこそ、文明の恩恵」上野さんは、以前からそのための「生き延びる思想」が必要と言っている。

現状では、高齢者を中心に「PPK思想」(ピンピンコロリが絶対に望ましい!)が根強いが、上野さんに言わせると、介護予防事業にもおなじくPPK思想がある。「筋肉トレーニングをするのは評判が悪く、結果はおもわしくなかったようだが、あたりまえだ。介護のない状態が『自立』で、保険はつかわなければ使わないほどよい、という考え方だ。政府がこんな考えかたをもっているところで、介護のされ方なんて思想が育つわけがない。」

「ケアの仕方についてのノウハウのあれこれはあるが、ケアのされかたを誰も教えてくれないのもへんなものだ」ということで、上野さんは「介護される側の心得10か条」なるものを提唱している。

これらについては、本当にその通り。ただ、扱われておらず、残念なことがある。
いま、現役の1人暮らし老人が一番不安になっているのは、「ボケ」「認知症」になることだ。MCI(軽度認知障害)、軽度認知症であっても、1人暮らしはある時期まではできるけれど、進行とともにむずかしくなる(進行を止める薬の開発まであと5,6年、あるいは10年はかかるとか。)

ある時期までの生活を支えるには、任意後見制度や地域福祉権利擁護事業をはじめとする福祉のサービスはもちろん、民生委員、福祉推進員といったボランティアや、近隣の人々の手助け、見守りが不可欠である。

そうした地域の信頼関係(ヒューマンキャピタル)をいかに構築するか、地域でのさまざまな取り組みを知りたい。
番外 No5 アメリカにおけるソーシャルワークの行方(1) 

マネジドケアが進むなかで、ソーシャルワーク実践家にも、研究者にも、ますますEBP(Evidence-Based Practice)が求められているようです。大学も、調査研究費をゲットし、エビデンス(根拠)基盤の実践ガイドライン作成にやっきとなっているところが少なくないとのこと。

NASW(アメリカソーシャルワーカー協会)の会長も、ソーシャルワークが効果的であることをデモンストレーションすること/実証的研究をすること、を会員に求めて、はっぱをかけているそうです。

ソーシャルワークは公的費用にもとづく社会的活動ですから、効果的であるかどうか、説明責任を果たすことが求められるのは、今の時代、当然のことかもしれません(効果的であることよりも、適切に行われたか、利用者はどのように評価したか、といったほうが私には、より大切なことと思われますが)。

しかし、メンタルヘルス領域など、カウンセリング支援の効果測定はできるかもしれませんが、カウンセリングだけでなく日常生活におけるサービス・資源の結合や、インフォーマルネットワークづくりのお手伝い、といった種々の活動を含むソーシャルワーク実践について、効果測定はできるのでしょうか?また、効果とは?

公的機関のソーシャルワーカーについては脱専門職化が進み、非営利や営利組織におけるソーシャルワーカーについては、より高度な専門性が追求される傾向にある、とのこと。効果測定を行い、EBPを求められているのは、もっぱら、後者の非営利/営利組織のスペシャリストワーカーによる実践、特にメンタルヘルス領域における実践なのでしょうか。

でも、それだけがソーシャルワークではないはずです。


No77 
上野加代子 編著 『児童虐待のポリテックス ――「こころ」の問題から「社会」の問題へ――』明石書店、2006年

キーワード:児童虐待、貧困、児童福祉司

本書は、1990年代以降、大きな社会問題となった児童虐待に関するこれまでの言説が、児童虐待を「こころ」の問題、家族の病理としてとらえることで、対策と実践を誤らせるというポリテックスの機能を果たしていると批判している。

つまり、こうした言説は、児童虐待に関する子ども時代のトラウマ因果論という思考様式を根付かせ、犯罪も社会的弊害の根源も、過去に受けた児童虐待だとみなす思考、トラウマという解釈資源を広範に利用可能とさせた。

これにより、児童虐待は社会の予防的まなざしを必要とする家族の病として了解されるようになり、「社会」の問題としてとらえる視点は欠落してしまうことになった。その結果、児童虐待、児童養護問題の根底にみられる貧困への社会的関心が失われてしまった。

貧困を論じている岩田正美さんも、こうした主張に同感し、「貧困が単に貧困だけで終わらないこと、現代日本で『不利な人々』は貧困とはまた別の問題を同時に背負って生きていかざるを得ない」「多くの社会問題は、貧困問題の解決を視野に収めないとアプローチできない部分を、かなりのところ持っている」と指摘している(『現代の貧困 ――ワーキングプア/ホームレス/生活保護――』筑摩書房、2007年)。

本書の執筆者の一人である児童福祉司の山野良一さんによると、「児童虐待の時代」になって、分離の必要性の判断、一時保護のアセスメントがより重視されるようになり、子どもの安全が最重視されるようになった。90年代初めにはまだあった、保護者への共感をベースにした援助、家族の再生能力への信頼といったものよりも、今はまずリスクアセスメントが求められる。

そうしたなかで、できるだけ保護者の抵抗の少ない介入方法を考えたり、親の困っている問題へのアプローチをキーに援助をしていく、といったことがむずかしくなってきていると山野さんは言う。

社会からの指弾を回避するために、児童の保護に傾きがちになる児童福祉司という身でありながら、(児童福祉司であるからこそ?!)、彼は次のように述べている。「児童の安全確保は優先だが、保護者の権利や家族の自律性、インフォームドコンセント、地域での生活の継続性、といった社会福祉の価値は、無視されてもよいか、対象者自ら問題解決を切り開いていく力への信頼性を切り捨ててよいか」

子どもの安全を第一に考え(国家の代理人が)家族に介入するというパターナリズムと、家族の自律性の尊重とのバランスは、先進諸国では大きな問題である。イギリスでは、事件のあるたびに、このバランスが崩れゆれている。

山野さんの言うように、わが国では、「行政機関の介入性(パターナリズム)の問題が表面化することは、障害者運動を別とすれば実はほとんどなかった」「介入性の問題は置き忘れられてきたが、児童虐待は、家族への介入というイデオロジカルで倫理的論点をふくんでいるがゆえ、社会福祉の理念的なあいまいさやあやうさの課題に直面することをよぎなくさせ、福祉の理念を根本から問い直し、鍛える契機をもっている」

この問題について議論を深めるとともに、児童虐待への一律的な対策と介入援助ではなく、調査研究にもとづくきめ細かな対策と多様な実践モデルの開発、研修が必要ではないか。

保護者の相談の動機づけレベルでタイプ分けをし、タイプに応じた技法(外在化など)の活用を提唱している鈴木浩之さんのような研究が期待される(「虐待を受け止めがたい保護者に対する指導・支援モデル――対立関係の外在化とチェックリストを使ったアプローチ――」社会福祉学Vol46-2、2005年)

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