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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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No63 天田城介 『 <老い衰えゆくこと>の社会学』 多賀出版 2003年

キーワード:老い、痴呆性老人、介護、家族介護者

高齢者虐待防止法が今年の4月から施行になったせいだろうか、最近、介護殺人や高齢者虐待の記事をよくみかける。周囲でも、要介護高齢者、特に、認知症のお年寄りのケアで苦労する人たちが増えてきた。

高齢者の家族介護は、家族成員間や親族間、近隣関係、ときには、職場関係などにも、いろいろな関係に影響を与える。それもよい影響は少なく、やっかいな影響が多い。それはなぜなのか?

大部な本書には、手が出しづらく、しばらく「つんどく」状態であった。このたび、家族介護者のインタビュー結果を分析して書かれた「第4章 在宅で追い衰えゆく身体を生きる家族を介護するということーー「痴呆性老人」と家族介護者の相互作用――」と、「5章 老い衰え行く高齢者夫婦の親密性の変容」を読んで、理解の助けになるところが少なくなかった。

本書は、「家族介護の脱自明化の時代における痴呆性老人の介護をめぐる家族介護者の意味づけ、解釈の変容過程をあきらかにしながら、相互作用のダイナミズムと家族介護者のアイデンティティ管理を、家族とジェンダーの視点から詳細に記述」した本である。

1960年代、70年代は、「日本型福祉社会論」によって、「『家』的家族観」にもとづく「嫁」の介護が当然という言説が振りまかれた。だが、その後、「愛情規範」にもとづく「娘」による介護が当然という言説が生まれ、90年代に入ると、個人主義イデオロギーが老夫婦間のケア、老老介護もやむなしとし、平等主義イデオロギーが息子による介護の現実も当然視するようになっていく。

こうした脱自明化の時代だからこそ、人々は、さまざまな言説の影響のもとで、介護のコンテキストを解釈し、自分の行為に納得できる意味づけをあたえようと努力する。その過程は、認知症高齢者や、他の家族成員、親族などによる解釈と行為とのぶつかりあいの過程である。そして、何が家族か、妻とは何か、娘とは何か、、、、を作り上げていく過程でもある。

家族介護者に直接接触するケアマネジャーさんやソーシャルワーカーさんにとって、本書の家族介護者へのインタビュー結果とその分析結果は自明のことだろうか?援助者が時間に追われてしまうと、家族介護のダイナミズムを深く理解したうえでの支援はなかなかむずかしい。
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No62 ピエール・ロザンヴァロン 北垣徹訳 『連帯の新たなる哲学』(原著は1995年、『あらたなる社会問題』)けい草書房 2006年

キーワード:福祉国家、排除、連帯、社会的なものの個人化、社会的参入

政治思想史や現代社会分析を専門領域とするフランスのロザンヴァロンによる「能動的福祉国家論」である。ソーシャルワークに触れている部分につながるところを取り上げた。

リスクは平等に分配されているとともに偶然の性質をもつ、という前提のもとに成立した保険は、福祉国家における社会保障の中核として発展してきた。だが、今日、不安定や脆弱といったものは偶然ではなく決定論的観点に移行しており、この前提自体が成り立たなくなっている。その象徴的な例が、定常化している排除であり長期失業である。

1960、70年代のヨーロッパ経済は、賃金生活者全体のあいだに暗黙に再分配が存在しており、これが社会の凝集力と結びついていた。しかし、大量生産大量消費型のフォーデイズムから柔軟な生産様式へ移行し、生産システムのなかの社会保障的なものは除外されることになった。より効率性を欠いた非熟練の賃金労働者は、かつては企業のなかに組み込まれていたが、今や補償金を受ける失業者となった。

排除に対して賃金を与えるという2つのモデル:ハンデイキャップモデル(障害者手当て、補償手当て)と生存所得モデル(ベーシックインカム)があるが、これらは、社会的なもの(連帯)と経済的なもの(効率)を根源的に分けることで、雇用問題を二次的なものとし、結果として排除を担保してしまう。そうではなく、労働による社会参入こそが、排除に対する闘争の基盤であるべきだ。

保険に代わる社会的なもの、つまり、社会的参入の新たな経済的形式を探求する例として、RMI(社会参入最低所得)がある。これは、個人のライフサイクル上のニーズや適正に応じた活動を認めるもので、社会扶助でも保険でもない、第三の途である。受給者の機会の平等を豊かにする手続き的権利と呼んでよい。アメリカのクリントンが行った家族援助法もその例である。

ソーシャルワークの実施において、契約の概念にますます頻繁に言及するようになったことは、こうした第三の途が開かれたことに対応している。あるソーシャルワーカーは、「契約によって相互的関係が定着し、受益者はみずから固有の未来に責任をもつ当事者とみなされ、社会の側には手段にかんする義務が生じる」と記している。

従来の福祉国家においては、(1)目標となる特定階層を対象として構成し、(2)権利や特定の手当てを整備する、そして、(3)専門家としての公務員やソーシャルワーカーがシステムの管理を支え、申請者が給付の権利を有しているかどうかチェックし、規則とその対象者との適合関係を規制する、というシステムがあり、長期にわたって有効であった。しかし、今日の排除の問題、長期失業者と過剰債務世帯についてみても、いずれも、社会政策の伝統的な意味での集団や特定階層がおらず、管理すべき対象は個別の状況となっている。従来のシステムはもはや適さなくなっている。

こうした個別の状況を評価するには、ある種の判断の下に人々を置くことになる。それは一種の社会統制となり、ソーシャルワーカーは、人の行動をコストや効率の観点から判断し管理するという新たな管理者となる。

個人化された観点から扱うことが恣意的扱いにならないためには、手続き的権利(各個人に固有の手段を与え生活の流れの方向を変えて破綻を予防する、ための扱われ方の公平さ)を保証し、救済や苦情対応のシステムを整備する必要がある。これによって、社会的なものの個人化は、かつてのパターナリズムに回帰することを回避できる。

著者が言うように、排除や長期失業の状態に置かれている人々の原因がより個別的なものになり、個別的な対応が可能なプログラムが重要になってきているなら、ソーシャルワーカーの仕事は重要性を増す。

しかし、その仕事が、利用者の社会関係づくりの機会を拡大する役割とともに、コストや効率の観点から利用者を管理するという役割をもつものならば、この二重性は従来のものと変わらない。他方、その仕事を規制し監督するシステムも強化される。
ソーシャルワーカーが魅力ある仕事になることは可能なのだろうか。
No61 加藤春恵子 『福祉市民社会を創る:コミュニケーションからコ ミュニティへ』新曜社 2004年

キーワード:コミュニティワーク、コミュニケーション、福祉市民社会、NPO、ドロップイン、アウトリーチ


かなり以前に購入し、“つんどく”の1冊になっていた本であるが、これほど、コミュニティワークについて、また、ソーシャルワークについて書いてある本だとは知らなかった。イギリスのNPOの活発なコミュニティワークを知って、元気をもらえた。

イギリスには、市民の権利意識と自発的なパワーに支えられている福祉市民社会がある。福祉市民社会とは、行政による福祉サービスを基盤とし、市民がNPOのワーカーやボランティアとして有給・無給で働いてサービスを活性化させ、公的セクターと非営利セクターを組み合わせることで福祉サービスを維持・発展させていく社会である。

その原動力となるのが、情報伝達と対話交流の2側面をもつ市民のコミュニケーション力であり、それを鍛える「市民資金」と仕組みである。想像力と活力にあふれる有給のコミュニティワーカーと、ボランティアが、このコミュニケーションを強力に推進していく。

ソーシャルワーカーの仕事は、法律にそって行われるため、予算もたてやすく、公的セクターでおこないやすい。これに対して、法的に裏づけのない新しい活動を立ち上げ、展開していくコミュニティワーカーの仕事は、NPOで行われる。その給与は、「市民資金」を扱う組織に応募して確保する補助金と、政府からの公的補助金でまかなわれる。

本書は、彼らのコミュニケーションのやり方や物事の進め方を、目を凝らして観察することで(エスノメソドロジー)、「市民社会のエッセンスを抽出する」こと、つまり、福祉市民社会の組織や制度の水面下にある、社会の組み立て方を言語化すること、を目指している。

マイノリテイのための女性センターやメンタルヘルスサポートセンター、ハウジングトラスト、家族センター、ユースセンター、コミュニティセンターなど、福祉ではなく他の分野から転出してきた多くのコミュニティワーカーとボランティアたちの活動報告は、「エッセンス」の抽出に成功しているといえよう。

イギリスのような多文化共生社会とはまだ距離のあるわが国であるが、少子高齢社会という観点からも、コミュニティの活性化、福祉市民社会の成立の必要性は明白である。問題は、コミュニティワーカーをどう育てるかではなく、コミュニティワーカーの活動を可能にする「市民資金」とその確保・供給の仕組みだ。ソーシャルワーク論ではなくNPO論がさかんになるのは当然か。
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