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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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No60 リーサ・カプラン、ジュデイス・ジェラルド、小松源助監訳
『ソーシャルワーク実践における家族エンパワーメント』 中央法規 2001年

キーワード:児童虐待、家族保全、家族維持、家族支援、エンパワメント

本書は、アメリカにおける家族保全プログラムの視点、目的、支援方法・技術、スタッフ訓練とマネジメントなどについて説明したものである。

家族保全(Family Preservation)というのは、ホームビルダーズなど、1970年代から民間活動として始まった児童虐待防止のプログラムである。家庭での養育が困難だからといって、子どもを里親措置するのではない。安全が脅かされない限り、子どもにとっての最善の場は、家族とともに生活することである、という信念のもと、子どもと家族を支援していく、というものである。

具体的には、子どもの措置が必要となるような差し迫った危険のある家庭に、ソーシャルワーカーが短期間に集中的な家庭訪問を行う。そして、諸サービスや資源の結合を通して家族との信頼関係を形成し、パートナーシップにもとづいた家族状況の変化の目標をたてて支援していく、といったものである。ワーカーは対象家庭をしぼり、スーパービジョンを受けながら、短期間に促進者、弁護者、協同者などの役割を果たす。

アメリカでは、1993年の包括的予算調整法によって、家族支援と家族保全、さらに、家族再統合のプログラムを発展させる予算が投入されることになった。それにより、種々の家族保全のプログラムやプログラムを提供する組織ができた。しかし、本書が刊行された1994年の段階では、家族保全と、より予防的な性格をもった家族支援プログラム(家族生活教育、レクリエーション、サマーキャンプ、家庭訪問、親教育、緊急相談、保育、雇用斡旋など)との統合はまだ図られていない、とのことである。

日本も児童虐待の通報件数が急増し、悲惨な事件も後をたたない状況にある。児童相談所だけでなく、市町村も児童虐待問題に対処することが法律改正で決められ、できるだけ地域で子どもと家族を支援していくことになった。しかし、家族支援や家族保全プログラムが示すような具体的な家族のためのサービスは、とても十分にあるとは思えない。

家族支援や家族保全プログラムが示すような子ども家庭在宅サービスを増やしていくこと、あるいは、既存のサービス資源を包括的プログラムとして統合していくこと、こうしたことがあまり議論されていないのは、どうしてだろうか?知らないだけか?

井上真理子『ファミリー・バイオレンスーー子ども虐待発生のメカニズムーー』(2005)では、アメリカの家族保全(家族維持)プログラムは失敗であったから、1997年の養子安全家族法が制定され、家族維持から子どもの安全と養子縁組の強調へと方針が転換した、と述べている。

この点は、本当にそうなのか、もう少し知りたいところだ。
しかしそれにしても、本書が示す、家族保全プログラムのスタッフの支援方法、スキルは、児童相談所、児童家庭支援センター、子ども家庭支援センター、子育て支援センター、保育所、子育て支援課、保健センター、保健所など、子ども家庭に関わるすべての機関のスタッフにも役立つのではないか。

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No59  デイヴィッド・チール 野々山久也監訳 『家族ライフスタイルの社会学』
ミネルヴァ書房、2006年

キーワード:家族ライフスタイル、家族する、母親する

現代の家族は、多様な形態を取っている。そこで、①だれとだれが家族成員か、②家族はどのようなことをおこなっているか、③家族はその他の集団とどのようにかかわりあっているか、の問いを立てる。

この問いに、家族ライフスタイルにおける相違を比較検討することによって答えることが、「家族ライフスタイルの社会学」である。本書は、イギリスの家族社会学のテキストとのこと。

なるほど、友愛家族についても、異性愛にもとづく友愛家族と、同性愛にもとづく友愛家族、といったように、「多様性」を論じている。友愛家族と親密な関係における暴力についても触れていて、DVは家父長制イデオロギーの文脈で生じるが、それは友愛家族の一定の特徴によっても助長されると指摘している。

つまり、親密な二人のロマンテイックな融合、 二人が一つに融合することというあるべき姿は、この関係維持のためには、親密な二人のあいだの望まない行為を耐え忍び、暴力を辛抱することが大切という苦痛の挿話として働く、というわけ。

しかし、これまでの日本で女性が暴力に耐え忍ぶのは、このロマンテックな融合ゆえよりも、世間体や経済力のなさゆえであったと思われる。

子どもの世話については、「徹底的に母親する」という思想を紹介している。これは、子どもたちをたんに成長させるだけでなく、その可能性を実現できるよう、子どもの身体的、社会的、知的な発達を自分たちがはぐくむべきであるという母親たちの確信のことである。

つまり、子どもと子どもの置かれている環境との関係のすべての側面をうまく管理するように、自分の時間とエネルギーのほとんどを手中させているような、母親による自己犠牲的なコミットメントのことを指す。

「徹底的に母親する」ことは、費用が高くつくので、アメリカでは、母親が労働者、扶養者であるべき、という考えと平行してあらわれている。他方、日本は、まだ、女性たちの経済的な開放へという大衆的な要求によって大規模に修正されてしまうまでには至っていない。結果として、この思想は、若い女性たちに、結婚や子どもをもつことへの抵抗感を作り出すという意図しない効果をもたらしている。というのがチールさんの理解である。

この現象については、すでにいろいろな人が指摘していたと思うが、これを「徹底して母親する」思想、と呼ぶというのは耳新しい(シャロン・ヘイズさんの用語とのこと)。
社会学者というのは造語がうまい人たちだ。ただし、この「思想」は、ジェンダー役割強化と、子どもへのソフトな「虐待」の促進に加担するおそれをもつ。その指摘がないのはなぜ?

No58  近藤克則 『「医療費抑制の時代」を超えてーーイギリスの医療・福祉改革――』 医学書院 2004年
 
 キーワード:ソーシャルケア、政策評価、ケアマネジメント

サブタイトルにあるように、イギリスの医療政策やブレアのNHS改革について記述し、日本へのインプリケーションを示した本である。第3部の1章では、「イギリス・ブレア政権の高齢者介護・福祉政策」として、ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)を紹介している。

NPMは、①サービス基準や数値目標の明示、②サービス提供の民営化・効率化、③政策評価の重視、を特徴とする。①は、サービスの質向上のために、どのようなサービスの質が高いかをスタンダードで示すとともに、到達目標を数値で表す、というものである。

③は、たとえば、50の指標から成る業績評価枠組(PAF: Performance Assessment Framework)を指定し、地方自治体の業績を総合的に評価する指標として活用することを求める。

また、ソーシャルケア(福祉サービス)の向上のために、ソーシャルケアに関する研究の知見を集積し、それにもとづいた実践ガイドや電子図書館を通じて普及を図るSCIE(Social Care Institute for Excellence)が2001年に創設されたとのことである。このサイトからソーシャルケア研究のデータベース(CareData)が利用できる。

近藤氏が指摘するように、日本は、介護保険によってサービス供給システムやサービス評価システムはかなり整ってきたが、PAFやSCIFといった取り組みは不十分だ。今後、このような政策評価の手法やデータベース化は急ピッチで行われるだろう。

こうした傾向と平行して、近年、日本のソーシャルワークにおいても、EBP(Evidence-Based Practice)が重視されつつある。EBPで行える範囲は、ソーシャルワークについては限定的だと思うけれども、政策評価とともに、実践の評価研究も必要だ。

2章「イギリスのケアマネジメント」では、日本の介護保険下のケアマネジメントと異なり、イギリスのそれが自治体によって実にバラバラである点を紹介している。チャリスたちの言う集中的なケアマネジメントが必要と言っているが、日本でも介護保険の前は、この集中的ケアマネジメント、つまり、複合的ニーズをもつ人々、長期にわたり複数のサービスを必要とする重度の要介護高齢者をターゲット化して、サービスを統合的に供給することがケアマネジメントである、という認識があった。

それが介護保険を実現するために、要介護高齢者すべてを対象とするものに政治的に広げられたのだ。日本の介護保険に似た制度を州ごとに導入するか否か、プロジェクトを実施して検討したオーストラリアでは(プロジェクトの結果、その制度を導入しない州が多かった)、ケアマネジメントは高齢者の場合も精神障がい者の場合も、ターゲテイングしている。

2006年度からの介護保険の改正(?)は、遅まきのターゲテイングの開始である。ケアサービスとケアマネジメントサービスを利用してきた大多数の軽度の要介護者にとっては、つらいところだ。セルフケアプラン(高齢者自身によるケアマネジメント)と、地域でのサービス資源づくりを、比較的元気なうちにみなで始めなければ。

No57 上野千鶴子『生き延びるための思想――ジェンダー平等の罠――』岩波書店2006年

キーワード:市民社会、公的暴力、私的暴力、プライバシーの解体、生き延びるための思想


DVや児童虐待、高齢者虐待に関心をもっている者としては、本書のあちこちで触れられている暴力論が興味深い。

市民社会は、構成員同士の暴力を抑制する代わりに、国家に公的暴力の組織化を、他方で私的領域の暴力の容認を行ってきた。

公的暴力も私的暴力も犯罪化すること、暴力の行使を市民諸権利の一部としないこと、が市民権を脱男性化することである。

私的領域における暴力からも、公的領域における暴力からも逃げること、暴力のシステムに組み込まれないこと、暴力のサイクルから降りること。特に、私的領域においては、「プライバシー」を解体して、市民社会の公的ルールを私的領域に持ち込むこと。

この発想は、アデイクションアプローチで有名な臨床心理士の信田さよ子さんの主張にもとづいている。DV被害者に対し、援助者は、「教育により当事者意識をもたせ、徹底して逃げよ、と説得すること」である。そういえば、信田さんもDVの暴力と国家暴力とを並置して議論していた。

DVと同じように、息子から暴力を受ける老いた母親に当事者意識をもたせることも、ときにむずかしい。そうした息子もまた、リストラで失職、多重債務、アルコール依存症、長年の引きこもりなど、社会の「被害者」である場合が少なくない。

もう一つ興味深い主張が、「尊厳ある生」の否定である。

「尊厳ある生」の主張は、「尊厳ある生」が維持できないときは、尊厳死・安楽死を選ぼうということ。これは、ネオリベラリズムの「自己決定・自己責任」の論理と同じ。「尊厳」を価値としたとたんに、それは「生」よりも大切な価値になってしまう。

「ぼけて垂れ流しになっているあなたや私に、そのまんまいきていていいんだよ、といってあげる」、「生き延びるための思想」。

フェミニズムがそうだったように、今後は、貧困層や低階層が思想の言葉を獲得して、当事者による新しい「生き延びるための思想」が生まれるだろう、と著者は期待している。
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