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No48 J.D.ケーグル・久保紘章他 監訳『ソーシャルワーク記録』相川書房 2006年

キーワード:ソーシャルワーク、記録、プライバシー、個人情報、アクセス権


 近年、看護や保健師の「記録」に関する文献の刊行が目立つように感じる。昨年4月の個人情報保護法の施行が関係しているのかもしれない。このたび、ソーシャルワークの「記録」に関するケーグルの本が翻訳された。もっとも、本書はもっと早く刊行される予定だった由。

 本書は、ケーグルの再版本(1991年、初版は1984年)の翻訳書であるが、古さを感じさせない。日本では、ソーシャルワークの記録に関する議論があまりなされてこなかったこと、今日、ようやくそうした議論を必要とする実践の現場が広がってきたこと、などがその理由だろう。

 ケーグルによれば、現代のソーシャルワーカーは記録をつける際、アカウンタビィリティ(説明責任)と効率、プライバシー保護、の3つの価値のバランスをとらなければならない。では、ソーシャルワーカーは何を、どのように、どの程度、書いていけばよいのか、組織はどのように管理すればよいのか。ケーグルは、役立つガイドラインの提示を試みている。

 長い間、「記録」が専門職のためにあったものを、第一義的にクライエントのためのものに代え、記述の方法や内容を変えていく。本書は、この観点で一貫している。特に、クライエントのプライバシー保護のために、「記録」はどうあるべきか、また、クライエントの個人情報へのアクセス権に対してどう応えるか、しつこいくらいに記述している。

日本でも、効率的に質のいい記録をいかに書いていくか、関心が高まっている。役所や民間事業所、開業医などが保有する個人情報を開示して欲しいという要求も出てきている。ソーシャルワークの「記録」は、クライエントや利用者に関する情報だけを記述したものではないが、大方はそうである。「記録」は、クライエント、利用者への開示を前提とし、「記録」はクライエント、利用者のもの、といった感覚で記述することが必要なのだろう。

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No47 神村栄一「認知行動療法の基礎理論――①認知療法」、菅沼憲治「認知行動療法の基礎理論――②論理療法」(こころの科学121)2005年


「こころの科学」121は、認知行動療法の特集を組んでいる。近年、認知行動療法の人気は大変なもののようで、巻頭の座談会では、その人気の秘密について、次のように言っている。

昨今のクライエントさんはインターネットを使って多くの情報収集をしており、従来の来談者中心療法や、「どうすればいいの?」「どうすればいいのか不安なんですね」という従来のリフレクテイブな応答には満足しなくなってきている。具体的な指摘や方策が求められている。使うほうからすれば、エビデンスベースドで評価研究しやすい精神療法、心理療法だから。

アメリカでは、マネジッドケア(少ない出費で質の高い処遇を提供するように計画されたヘルスケアやメンタルヘルスケアのプログラム)が、短期間で一定の成果を測定できる認知行動療法をメインストリームに押し上げたのではないか?


神村氏の「自動思考」(なんらかの否定的な感情や振る舞いが引き起こされる直前にクライエントの内部で情報処理される言語やイメージ)の3つのプロセス(「選択的注意」「推論」「認知的評価」)の説明はわかりやすい。「媒介信念」(思い込み、例:○○でないと○○と見られてしまう)や、「中核的信念」(スキーマ、例:私は能力がない)が、「自動思考」に一定方向のバイアスをもたらしているために、一貫した、うつ、不安、怒りなどの問題や症状が繰り返される、と解釈する。

自分は能力がない、人から好かれないといった「中核的信念」をもっている人は、彼の行いをほめてくれる人よりも、無視した人のほうを、選択的に注意し、やはり自分はだめなのだと認知的に評価してしまう、これをいつも繰り返しているというわけ。

介入としては、クライエントさんに対しては、抽象度のやや高いレベルで認知の偏りの傾向を自覚してもらい、セルフヘルプの能力向上(再発予防)を図る、ことになる。

たしかに、一定の不安やうつには、有効だろうし、目に見える変化を短期間で得たいと願うクライエントさんにはいいだろうと思う。だが、人はもっと自分のことをみてほしい、聞いてほしい、と願っているのではないか?

菅沼氏の「論理療法」の実践事例を読むと、この成果は持続するのか?という疑問を、やはりもってしまう。ただし、もう少し、関連論文を読んでみないとわからない。

番外編No2 島根県立美術館

島根県立美術館に立ち寄った。ちょうど、『岡本太郎展』をやっていた。作品出展数190点という充実したもの。相反するふたつの対象(具象と抽象、有意味と無意味)を同じ画面で描く「対極主義」の作品は、「痛ましき腕」、「夜」などの作品に顕著に表れていた。作品の多くは顔を扱っている。特に、目のデフォルメが印象的だった。
岡本太郎というと、芸術は爆発だ!だから、赤・黄・青といった原色が迫ってくるようなイメージをもっていた。だが、今日は、そうした原色のなかにある黒が目に付いた。時代が後になるほど、その黒の比率が多くなっていくような感じである。おそらく、実際には、そうではないだろう。見る側の状態で、絵から受け取る色合いや色の比率も違ってくるのだ。

ロダンの「ビクトルユーゴー」の彫刻を見ながら入っていく常設展もまた、なかなか充実していた。「輸出陶器の世界」展は、明治時代から昭和初期に出雲地域で作成され、ヨーロッパの万博などに出されていたという布志名焼(ふじなやき)であった。色絵金彩花鳥文花瓶や、花鳥人物図花瓶など、クリーム色の生地に細かい金色の花鳥や人物が描かれているものが多い。
その他に4つの常設展があったが、藤田嗣治の「サーカスの人気者たち」、モネの「アヴァルの門」も見ることができてびっくり。橋本明治の美人画も数点あり。

今日(3月30日)、松江は雪が舞ったので眺めることができなかったが、美術館の1階は、宍道湖に面していて、美しい入日を堪能できる。これも1篇の絵画。
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