Book+

福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
No44 金子郁容 『新版 コミュニティ・ソリューション ――ボランタリーな問題解決に向けてーー』 岩波出版、2004年

キーワード:コミュニティ、コモンズ、コミュニティ・ソリューション、ソーシャルキャピタル

金子氏によれば、インターネット社会における2つの対照的な行動/問題解決軸は、
G軸:契約、リスクヘッジ、自己責任にもとづいたグルーバルな行動と問題解決
C軸:コミュニティ・ソリューション
の2つである。

このうちのコミュニティ・ソリューションとは、既存の組織や機構で対応できないているさまざまな問題を、メンバー間の情報共有とアクテイブなインタラクションによって、情報と関係性の共有地(コモンズ)をつくり、お互いの活動を相互編集することで解決しようとする方法のことである。

そのコモンズでは、
・ 人々が自発的に集まり、情報、技術、問題などをもちよる
・ 共有された情報が編集され、そのことでコミュニティの何かが変化し、新しい関係や意味が出現する
・ 情報や変化が経験され、蓄積、共有資源となる
・ 具体的成果があがり、各自が果実をもちかえる
ということが生じる。

こうしたコモンズの例としては、阪神淡路大震災の市民の会、禁煙マラソン、ケアセンター成瀬、事業型NPO、ファミリーサポートセンター、認証協議会等が紹介されている。

福祉の分野でもお馴染みのケアセンター成瀬やファミリーサポートセンターは、コミュニティのソーシャルキャピタル(コミュニティの関係性の資源 / コミュニティに蓄積された関係のメモリー)によってソリューションがうまくいった例と、その可能性を秘めた例として詳しい解説がある。

ファミサポは行政が仕掛けた住民参加型サービスである。だが、そこへの参加は住民の自発的な参加によるものである。「利用者と提供者を切り離さない」で、さまざまな会員交流活動を行うなどを通して、そこがコモンズとなれば、その活動の積み重ねによってソーシャルキャピタル(地域の保育力、子育て支援力)が蓄積されていく可能性がある、ということなのだろう。

自発的なコミュニティ資源によるソリューションは、今後、いっそう活発になるだろう。だが、福祉領域では、ファミサポのように自治体の仕掛けが必要な場合も少なくないと思われる。官民協働のコミュニティ・ソリューションである。
スポンサーサイト
No43 イギリス保健省・内務省・教育雇用省(松本伊知郎他訳)
『子ども保護のためのワーキング・トゥギャザー ――児童虐待対応のイギリス政府ガイドラインーー』医学書院、2002年


キーワード:児童虐待、当事者参加、パートナーシップ

イギリスの1989年の児童法は、親との共同(パートナーシップ)の原理を取り込んだもので、ソーシャルワーカーの調査結果を受けて招集される子ども保護会議(Child Protection Conference)に、家族が参加することを原則としている。これは、多数の子どもの性虐待を理由とする分離保護に疑義が出されたクリーブランド事件を契機に、親の養育に対する公的介入の「行き過ぎ」を批判する論議がなされたことを背景としている。一定の年齢に達し、十分な理解力のある子どもも可能なら参加する。

この当事者参原則にもとづいて、子ども保護会議は、すべての親に対して出席を促す。そして、会議の前には、こうした子どもや親、関係する家族に、会議の目的、出席予定者、運営方法を必ず説明し、友人や代理人を同伴してもよいことを伝える。訳者の松本氏の解説によると、会議の席では親は発言を奨励されるが、決定には参加できない。親が弁護士をつれてきたり、弁護士が代理出席する場合、弁護士費用は自治体が負担する。

当事者参加の利点としては、①なぜ調査や保護が必要かを親に明確に伝え、早い段階で困難に直面したほうがソーシャルワーカーとの関係がつくりやすい、②ケアプランに親の意見を反映させサインを得るので、ケア実施に協力が得やすい、③親に情報がきちんと伝わる。④意見表明の機会があるので親の不安やストレスを下げることができる、⑤親の指摘から状況把握の間違いを訂正できる、などがあげられている。

ソーシャルワーカーら関係職に対するアンケート調査結果では、当事者は「会議の全体を通して招かれるべき」だとする意見が14.4%、「全体を通して招かれるべき」が65.8%であった。実際の親の出席率は、ある調査によれば59%である。傍聴したある日本人の報告によれば、親の側に多少のとまどいはあっても、会議が大きく混乱することはなかったとのこと。

ニュージランドでも同じような当事者参加の仕組みがあったのではないか。わが国の児童虐待対応においても、専門職や関係職が協働しチームで対応していくという意味での「ワーキング・トゥギャザー」から、当事者との協働という意味での「ワーキング・トゥギャザー」へ、議論は移っているのだろうか?当事者参加は、ソーシャルワーカー(日本でいえば児童福祉司)を初めとする関係者の専門性を大きく問うことになる。

No42 東山紘久 『プロカウンセラーの聞く技術』創元社 2005

キーワード:カウンセリング、ロジャーズの心理療法


2000年に発行されて2005年には47刷、帯には「27万部突破!」とある。どれどれ、と読んでみて、フムフムと納得した。

聞き上手になる=相づち以外はしゃべらず、素直に(「でも」「しかし」などと言わない)、話に関心をもって聞く
『受容』とは、相手の話を肯定的にとらえること、相手の言ったことは相手のこととして(聞き手とは関係なく)認めるということ
避雷針になる=聞いた話と自分自身の気持ちを関係させない、聞いた話は忘れる
ただひたすら聞く、Listen するだけでAskしない
相手を理解するということは、人間の弱い部分、影の部分も認めること
プロはどうして来談者がその話をするのかに関心をもつ。だから、なぜ?ではなくその話を一生懸命に聞く

などなど、ロジャーズの来談者中心療法の極意が非常にわかりやすく説明されている。心理療法家と違って、ソーシャルワーカーは、支援を拒否する人の話も聞く必要がある。だが、なぜその関係を拒否するのだろう?と考えながら、相手とのコミュニケーションの糸口をみつけ(これはいろいろある)、聞き上手になって話しを一生懸命に聞く、そうしたところから関係を作っていくことはできるはず。そのためにも、聞くことのプロの技を学ぶことはためになる。

ただし、1時間くらい、じっくり時間をかけて話しを聞く、何度か聞く、そういう環境がソーシャルワーカーの実践現場では作りにくい。また、支援のためにAskも必要となる。ここらがまたむずかしい。

佐伯啓思 『倫理としてのナショナリズム』NTT出版 2004年

キーワード:倫理、グローバルな市場経済、リベラリズム、自由、平等

     あとがきのなかに、「現代日本で起きている人騒がせな『構造改革』と、社会的な倫理観・道徳観の崩壊は、けっして無関係だとは思われない」とある。「ホリエモン事件」の1年以上も前に、著者はこうした事件の起きることを予告していたようにみえる。

著者によれば、ポスト工業化は、市場のグローバル化によって新たな社会に移行する。その特性は3つある。
1.長期安定から短期フレクシビリテイへ:過激なコスト競争はより早く、より安くを求め、個人の自由行使の前提条件であった雇用の確保を困難に。人的資本の価値が短期的市場の動向にさらされ、長期的な関係の継続において意味をもってきた平等性、対等性、公平性といった倫理的なるものが消滅。

2.不確実性からリスクへ:グローバルにつながったシステムにおいて生じる、システムのご操作によるリスク。システム関与者は同等にリスクを負うのであり、階層や人種などによって構造化されていない。リスク回避は、専門家や行政による説明責任、情報公開のうえでの個人の責任(かくして、平等の問題は倫理的課題として提示できず。労働者階級へ補償し、貧困層の生活保護を行う福祉主義は、もはや重要な意味をもたない)。

3.あらたな層化の進行:所得分配の階層化ではなく、市場への接近の可能性とそこから生じる活動の意味構造の相違による大衆的重層化。層は、所得や学歴によって構造化されておらず、個人の選択にもとづく文化的様式の相違であり、「階層的嫉妬」が生じがたく、平等性への強烈な訴えが生じてこない。代わりに、つかみどころのない不安、システムそのものにたいする不信感(倫理的要請は、せいぜい、生命や生活をおびやかすリスクにたいするシステムによる管理と自己責任)。

つまり、市場経済のグルーバル化のなかで、自由や平等を倫理的要請として提示する共通の了解が見失われてしまった。

 ではどうするか。ポスト工業社会の倫理的課題は、たんに生活維持ではなく、効用を高めるのでもなく、何が善き生活か、何が価値ある生かを問い直すことである。

 他者や共同社会とのつながり、信頼、つながりや共同活動への参加を通した承認や是認。こうしたものが善き生と関連づけられる。

 これまでソーシャルワークは、まずは、自由(自己決定や自立)や平等(公平、公正としての社会正義)を目指して支援することを前提としてきた。だが、今後は、信頼やつながり(インクルージョン、ソーシャルサポート)までをも目指した支援、あるいは、それに焦点を当てた支援を、いっそう考える必要があるかもしれない。
No40 広井良典 『ケアのゆくえ 科学のゆくえ』 岩波書店、2005年

キーワード:ケア、科学、スピリチュアリテイ、医療ソーシャルワーク、ケアとしての科学

『ケアを問い直す』『ケア学』など、社会保障やケアの側面から日本社会やその行方を論じている広井さんの新刊。終章では、「科学」とは何か、「科学のゆくえ」とは?をいつものように、大づかみで説明してくれている。

「成長・拡大の時代から経済の成熟化、定常化(定常型社会)へ」という大きな時代の変化の下で、従来の科学、すなわち、「対象との切断や自然支配・制御」は、ケア的要素をもつ方向と変容していく。つまり「対象の個別性や主観性の重視」へである。

「因果的な法則定立的なもの」から、「対象の個別性を十分に取り込んだ科学」へ、という意味での「ケアとしての科学」。「病院」という雑誌で行った、森林療法家や代替医療の実践家との対談は、そうした「ケアとしての科学」のあり方を示唆するものとして掲載されている。医療ソーシャルワーカーの職能団体(日本医療社会事業協会)の副会長との対談も、そうした1例として取り上げられている。

また、2章「医療のポストモダン」において、医療政策では、「医療モデル」(原因物質の解明とその除去という枠組みで治療を図るモデル)から、「生活モデル」(より広い視野で医療ないしケアを捉え直し、医療のありかたの根底的な見直しと質的充実と費用対効果を図るモデル)へ、という新しい潮流が出てきたと言う。

それには、高齢者ケアの分野を中心に、(1)予防的ケアへの資源配分、(2)患者への心理的・社会的サポート、(3)患者の権利ないし治療過程への参加促進、(4)終末期医療における緩和ケアの充実、(5)東洋医学などの代替医療の積極的活用、(6)医療政策の決定プロセスの見直し、そこへの患者・市民の参加、などが含まれる。

このうちの(2)は、病院のカウンセリング機能として論じられているけれど、ほとんど医療ソーシャルワークのことである。

慢性疾患の背景となる生活習慣は、心理・社会的要因が大きく関係しており、その治療には、心理的・社会的なケアのあり方が、「身体的」とされている病気の治癒過程そのものに大きな影響を与える。だから、「周辺的なサービス」に過ぎないという認識を変えていかなければならない。

こうした広井さんの主張は、医療ソーシャルワークにとって力強い味方だ。相談を通した心理・社会的サポートを中核とするソーシャルワーク全般の今後の発展の可能性についても、こうした社会動向との関連で論じられる必要がある。

終章末尾で、広井さんは、共同体や自然から切り離されバラバラになっている個人を、一方で「コミュニティー自然―スピリチュアリテイ」の層へもう一度つなぎ、他方で独立した異なる個人が関わる場としての「公共性」のほうへと開きつないでいくこと、それがこれからの時代のケアと科学の両方の中心的課題である、と述べている。ソーシャルワークは、こうしたつなぎを実践の場でも、理論(理屈)の場でも行っていけるだろうか?

春日武彦 「心を病んだ人への本音の援助方法」

昨晩、春日先生の講演を聞きました。本で読んだこと+α を、先生のユーモアたっぷりの話を通して再確認。本も面白いけれど、話し振りもとても面白く、お腹をすかせながらでも聞いてよかった。

健康が幸福とは限らない、問題解決の変化よりとりあえずの安堵を選択、幸福追求するのが人間とは限らない、、、、、。援助者は思い込みや1つのとらえ方にとらわれないこと、自分の想像を超える考え方や生き方があるのだという謙虚さをわすれないことが大切。

ケース検討会では前向きの結論を出さなければ、という思い込み。いろいろやってもだめ、すぐにはどうしようもない、ということをみんなで確認し、腹を括って待てばいい。すると事態が動く。

援助者の精神の健全さは、、、などなど。援助職の心の支えになるお話がいっぱいでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。