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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

No21 竹内孝仁 『認知症のケアーー認知症を治す理論と実際――』 
年友企画 2005年

キーワード:認知症、ケア、

       いやあ、読んでよかった。従来の脳血管障害による痴呆とアルツハイマーによる痴呆の違いとか、認知症の人に対するケアについて多少は本を読んでいた。また、認知症の当事者が書いた『私は誰になっていくの』を読んだり、身近にいる認知症の人を見ていて、今までの知識ではよくわからんなあ、という思いが強くなっていたところだった。
       ケアマネジャーさんやケアワーカーさんたちに絶大の人気を誇る竹内先生のこの本で、納得できることが多かった。

       認知症は、身体的活動性、生理的ボケ、社会的関係という身体、精神、社会のそれぞれの要因が関係して生じる。認知症と正常の境はうっかりミスを自己修正できるかどうかである。認知症の人々の心理は混乱と不安,怯えと孤独感、怒りなど。閉じこもり予防こそが寝たきりと認知症予防であること、などなど。理論的説明が大変わかりやすい。

       ケアの専門家は当然のこと、認知症予備軍の高齢者も、認知症の人を家族にもつ人々も、こうした知識とケアの技術をできるだけ早期に学ぶことが必要だ。認知症はこわい病気ではないこと、適切に対処できる障害であることを早く学び、不幸な状況を少しでも減らしていきたい。
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No20 上野千鶴子 『ケアの社会学――序章 ケアとは何かーー』
 クォータリー{あっと}1号 2005年

キーワード:ケア、フェミニスト、ケアワーク、ジェンダー、ケアへの人権アプローチ

       ケアは近年の社会現象である。「ケアが問題として登場し、社会的に配置され、新しい社会領域を切り開き、さらに代替的な社会的ビジョンを提示する可能性について論じる」という、上野千鶴子氏の『ケアの社会学』の連載が生協系の新雑誌で始まった。
     
  ケアとは何か。フェミニストであるデイリーはケアを、「依存的な存在である成人、または子どもの身体的かつ情緒的な要求を、それが担われ、遂行される規範的・経済的・社会的枠組みのもとにおいて、満たすことにかかわる行為と関係」と定義する。上野氏は、この定義を採用する。それは、この定義が、ケアの社会的かつ歴史的な文脈依存性を示すからである(それ以外にも5つの効果がある)。

ケアが「中産階級」の「既婚女性」の無償労働になったのは、近代家族成立以後のことであり、ケアには家事と同じく、ジェンダー、階級、人種が変数として色濃く刻印されている、と上野氏は言う。そう、ケアは、社会的、歴史的な文脈のなかで語られねばならないのである。

ケアの本質論や規範的アプローチは、脱ジェンダー性を帯びている。上野氏はそう言って、本質論としての「ケアとは何か」ではなく、「いかなる文脈のもとにおいて、ケアとは何であるのか?」「いかなる文脈のもとである行為はケアになるのか?」「いかなる文脈のもとで、ケアは労働になるのか?」を問う、と宣言する。

興味深いのは、ケアへの人権アプローチ。上野氏は、このアプローチにより、ケアを脱自然化し、それが社会的権利として立てられるべき構築物であることを明らかにすること、また、一定の社会的条件を明示することでケアの社会的再配置についてのビジョンを提示することが可能になるという。
ケアの権利を、(1)ケアする権利、(2)ケアされる権利、(3)ケアすることを強制されない権利、(4)ケアされることを強制されない権利、とすることによって、ケアについて歴史的、かつ、社会的文脈で総合的なケア論の体系化の可能性を示唆している。
ウーム、次号が待たれる。