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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

No11 信田さよ子『DVと虐待:「家族の暴力」に援助者ができること』医学書院 2002年

キーワード:DV、暴力、児童虐待、当事者性、アディクション・アプローチ

   DV(ドメスティック・バイオレンス=夫婦・恋人間暴力)と虐待。ソーシャルワーカーを大いに悩ますこれらの問題について、習慣的な暴力はアディクションであるという認識から、アディクション・アプローチによる介入方法を解説した、社会学者の上野千鶴子さんと仲のよい臨床心理士の信田さんの本。
アディクションとはアルコール依存症のような嗜癖のこと。アディクション・アプローチとは、アルコール依存症者の家族にイネーブラー(結果的に飲酒させ続けてしまう行為を行っている人)であることをやめるよう働きかけ、アルコール依存症者には「底つき」体験(「もうだめだ!」という体験)をしてもらうというアプローチである。

   書かれている介入方法は具体的で説得力がある。その内容に関心がある人は、本書を読んでください。ここでは、私が特に関心をもった「事例化」「当事者性」「暴力を許さない」の3点についてご紹介(「 」は本書からの引用)。

   「事例化」とは、援助者である著者が、「クライエントの話を聞き、格闘し、噛み砕いて」物語にすることである。それらは、出来事の意味や解決の方向などが類型化され共通のパターンが示された物語である。つまり、「事例とは事実の羅列ではなくて、クライエントと援助者としての自分との相互交流の物語」なのである。
   「当事者性」とは、これが自分の置かれている状況の問題であるという認識をもつことである。つまり、これが「わたしのことと感じている」ということだ。DVの場合、「被害者であることの自覚をもつ人」。DVには、この当事者性をもたない(まるで他人事)という被害女性が多いとのこと。自発的にカウンセリングを受けに来た人でもなお、「当事者性」をもっていないのだ。「当事者性をもたせるべく彼らを教育していく」のであるが、それは、「暴力を許さない」ゆえである。
   DVに対する介入は、成人としての両性による合意(決定)した関係への介入であるから、それを正当化する論理は子ども虐待の場合とは異なる。では、それは何か。信田さんは「DVは犯罪」であり、「家族のなかでの戦争、テロリズム」だと言う。よって、「暴力を許さない」。「人は他者から暴力をふるわれてはいけない、同時に、他者に暴力をふるってはいけない」「習慣的に殴られるということは人をどのように変えるのか、殴ることがその人の言語能力を奪い、殴ったことがどれくらい醜悪なパワー幻想を与えるのか、人によっては殴った人自身がどれくらいきずついているのか」。
   だから、クライエントの「自己決定」や「プライバシー」、守秘義務といった価値よりも「暴力をふるってもふるわれてもならない」という信念を優先させてよいのだ、と信田さんは主張する。

   児童虐待や高齢者虐待の事例において、リスクアセスメントを行うのは、分離という積極的介入を行うに足るリスク(生命の危険性、重大事の生じる危険性)があるかどうか(あきらかな事実ではなく、一定の事実を踏まえたおそれの有無)を確認するためである。だが、信田さんの説に従えば、生命の危険性が高いかどうかが問題なのではなく、暴力が習慣的に行われているかどうかが問題なのだ。習慣的な暴力は被害者の身体や精神を傷付けるだけでなく、加害者の人格を歪めていく。
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