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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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No13 市川和彦『支援者が有するパターナリズムの活用と支援者に期待される変容過程:A.M.サリバンによるH.ケラーへのかかわりから』キリスト教社会福祉研究 第34号、2002年

キーワード:パターナリズム、支援者、自己愛性、変容過程、虐待

   
施設における虐待に関する本を書いている市川和彦さんの論文。論文によると、ご存知、ヘレン・ケラーを教育指導したサリバンは、利他主義にもとづくパターナリズムと自己愛性のパーソナリティをもっていて、当初、ケラーに対して拘束や暴力的対応までして、彼女のしつけにのめり込んだ。
しかし、やがて、ヘレンの知性の発見と着実な効果を知ることで、サリバンは指文字を使いながら教育をするようになり、ヘレンの心を刺激して興味を起こさせるために全力を尽くし、待つ、という援助方法に変わっていく。そして、ふたりの間に信頼関係が形成されていった。

市川さんは、誰でも自己愛性をもっているが、それがその人の日々の成長につながる健康なものであればよいと言う。パターナリズムの行為が病んだ自己愛性の隠れ蓑である場合、対象の利益をもたらさず、虐待をもたらすおそれもあるのだ。
健康な自己愛性とパターナリズムによって、教育者であったサリバンもまた成長していった。福祉の現場にいる支援者も、パターナリズムを行使するにたる専門性を有しているかどうか、自分の自己愛性はどのようなものか、問い返しが必要だと言っている。

福祉や看護の従事者には、自己愛性のパーソナリティや「共依存」の傾向をもつ人が多い、と言われることがある。そうした調査結果があるわけではないが、「弱者」を対象とする世界だから、そうした人が多く従事していてもなんら不思議はない。そのことが問題なのではなくて、問い返しができる環境が用意されているかどうかが問題なのだと思う。


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No12 パム・スミス・武井麻子/前田泰樹監訳『感情労働としての看護』ゆるみ出版、2002年

キーワード:感情労働、ケア、ケアリング、看護

   ホックシールドの明らかにした感情労働は、看護労働を行う看護婦にもケアあるいはケアリングとして期待されている、しかし、それは看護婦=女性としての資質としてもたらされるものであって、教育されるものではないと考えられている、だから、看護学生たちは病棟婦長が患者や学生たちに示す態度や雰囲気のなかでそれらを学んでいく。その途上で、看護学生は自分の感情の管理で苦労することが少なくない。本書は、こうしたことを具体例を示しながら説明している。
安全な場所で気遣われているという感覚を患者にもたらすような感情労働、患者の心理的ニーズや感情を知り理解しよう、共感しようとするような感情労働は、「女性の資質」に任せるというものではなく、心理学や社会学などの理論的基盤や高度な対人能力の獲得を基本とした公式で体系的なトレーニングやスーパービジョンが必要だと著者は言う。これって、ソーシャルワーク教育のなかで、援助関係の原則とか関係づくりのスキルとしてずっと教育してきたことではなかったか?
ソーシャルワークでは、女性ならだれでも自然にできることとは考えず、公式に教育してきたから、これまでに『感情労働としてのソーシャルワーク』といった本は出版されることがなかったのか。それとも、ソーシャルワークを労働としてとらえる視点が弱かったからか。しかし、わが国のソーシャルワークおけるケアリング技術の教育も、実際には、長時間の実習を通して身につけていくのではなくきわめて不十分なものだ。だから、経験の浅いソーシャルワーカーは、利用者の心理的ニーズや感情をどう理解してよいか、どう対応してよいか不安になり悩むことも少なくない。ソーシャルワーカーのメンタルヘルスも、もっと考えられていい。
本書の解題を執筆した武井さんは、問題を抽出して看護計画を立案し、実行して評価するという看護過程(看護の問題解決過程)がワークメソッドとして強調されると、患者にとって感情労働としてのケアが重要であるということがおろそかになっていく、というようなことを書いている。この点は、今、ソーシャルワーク教育のなかでも指摘されている。

No11 信田さよ子『DVと虐待:「家族の暴力」に援助者ができること』医学書院 2002年

キーワード:DV、暴力、児童虐待、当事者性、アディクション・アプローチ

   DV(ドメスティック・バイオレンス=夫婦・恋人間暴力)と虐待。ソーシャルワーカーを大いに悩ますこれらの問題について、習慣的な暴力はアディクションであるという認識から、アディクション・アプローチによる介入方法を解説した、社会学者の上野千鶴子さんと仲のよい臨床心理士の信田さんの本。
アディクションとはアルコール依存症のような嗜癖のこと。アディクション・アプローチとは、アルコール依存症者の家族にイネーブラー(結果的に飲酒させ続けてしまう行為を行っている人)であることをやめるよう働きかけ、アルコール依存症者には「底つき」体験(「もうだめだ!」という体験)をしてもらうというアプローチである。

   書かれている介入方法は具体的で説得力がある。その内容に関心がある人は、本書を読んでください。ここでは、私が特に関心をもった「事例化」「当事者性」「暴力を許さない」の3点についてご紹介(「 」は本書からの引用)。

   「事例化」とは、援助者である著者が、「クライエントの話を聞き、格闘し、噛み砕いて」物語にすることである。それらは、出来事の意味や解決の方向などが類型化され共通のパターンが示された物語である。つまり、「事例とは事実の羅列ではなくて、クライエントと援助者としての自分との相互交流の物語」なのである。
   「当事者性」とは、これが自分の置かれている状況の問題であるという認識をもつことである。つまり、これが「わたしのことと感じている」ということだ。DVの場合、「被害者であることの自覚をもつ人」。DVには、この当事者性をもたない(まるで他人事)という被害女性が多いとのこと。自発的にカウンセリングを受けに来た人でもなお、「当事者性」をもっていないのだ。「当事者性をもたせるべく彼らを教育していく」のであるが、それは、「暴力を許さない」ゆえである。
   DVに対する介入は、成人としての両性による合意(決定)した関係への介入であるから、それを正当化する論理は子ども虐待の場合とは異なる。では、それは何か。信田さんは「DVは犯罪」であり、「家族のなかでの戦争、テロリズム」だと言う。よって、「暴力を許さない」。「人は他者から暴力をふるわれてはいけない、同時に、他者に暴力をふるってはいけない」「習慣的に殴られるということは人をどのように変えるのか、殴ることがその人の言語能力を奪い、殴ったことがどれくらい醜悪なパワー幻想を与えるのか、人によっては殴った人自身がどれくらいきずついているのか」。
   だから、クライエントの「自己決定」や「プライバシー」、守秘義務といった価値よりも「暴力をふるってもふるわれてもならない」という信念を優先させてよいのだ、と信田さんは主張する。

   児童虐待や高齢者虐待の事例において、リスクアセスメントを行うのは、分離という積極的介入を行うに足るリスク(生命の危険性、重大事の生じる危険性)があるかどうか(あきらかな事実ではなく、一定の事実を踏まえたおそれの有無)を確認するためである。だが、信田さんの説に従えば、生命の危険性が高いかどうかが問題なのではなく、暴力が習慣的に行われているかどうかが問題なのだ。習慣的な暴力は被害者の身体や精神を傷付けるだけでなく、加害者の人格を歪めていく。
No.10 横川善正『誰も知らないイタリアの小さなホスピス』岩波書店 

キーワード:ホスピスケア、ボランテイア、NPO

3年前の夏、父が急逝した。2回目のガン手術の後に。手術が成功してよかったね、と話し合ったその夜から様態が急に悪くなり、意識不明のままICUに入って4日目だった。その間、家族はどうしてなのかと医師に問いただし、処置をめぐって家族同士で口論した。たった4日間で、これまでの人生で泣いた量に匹敵するくらい泣いた。濃密な時間だった。

末期ガンに侵されターミナルを生きる人、家族は、きっと、私の経験したジェットコースターのような感情の揺れを何度も体験するのだろう。本書は、そうした人たちに寄り添うボランテイアを組織した女性と、仲間の話である。

社会学的なNPOの発展過程分析でもなく、社会福祉学的なNPOの組織論でもNPOによる支援方法論でもない。美大の教員で、たまたまの出会いで女性の友人となった日本人男性が、自分の疑問を確かめるように、話を聞き、まとめをストーリーにしたものだ。
でも、濃密な時間をすごす人々に寄り添うことはどういうことなのか、また、そうした行為を組織化するということはどういうことか、本書からいろいろ学びとることはできると思う。
No9 山脇直司『公共哲学とは何か』ちくま新書、2004年

キーワード:公共哲学、ポスト専門化時代、民の公共、グローカリズム

 近年、よく聞かれる公共哲学という言葉。なんとなく想像できるけれど、では、一言で説明せよ、と言われるとちょっと困る、そういう人が読んで「ああ、そうか、これでOK」と言える本であり、「この先をもうちょっと読まないと、、、」と思ってしまう本。公共哲学の第一人者である著者の、公共哲学入門本である。
   公共哲学は、滅私奉公や滅公奉私に対抗する「活私開公」の理念を追求し、タコツボ的「学問の構造改革」を目指す運動であり、「ポスト・イデオロギー時代」における「理念と現実」を統合し、「自己―他者―公共世界」の相互関連性を理解する学問、なのだ。よくわからん、という人は本書を見てください。
   社会福祉でもお馴染みのロールズの正義論やコミュニタリアニズム、ソーシャルキャピタル(信頼関係のネットワーク)、ケアという「市民的徳性」、「民の公共の担い手」としてのNPO、グローカリズムなどが、ああ、このようにつながるのだな、と理解できる。社会福祉の政策論を学ぶ人だけでなく、実践論を学ぶ人、実践する人もまた、公共哲学に関心を寄せるべし。
   個人的には、「民の公共」の場、あるいは、担い手としてのNPOの重要性について、NPOのもつ限界や課題も含めて、もっと勉強してみたい、と思った。
   本書のなかで紹介されている公共哲学ネットワークのHPを覗くと、公共哲学に関する文献情報を得られるだけでなく、書評とそれへのリプライの仕方を学ぶこともできる。

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