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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

No5 大岡頼光『なぜ老人を介護するのか:スウェーデンと日本の家と死生観』けい草書房、2004年

キーワード:福祉国家、老人介護、規範意識、人格崇拝、死生観、共同墓

 2000年度からスタートした介護保険をどのように持続可能な制度に改変するか、介護保険を支えるケアマネジャーの質をどのように担保していくか。そうした実践上の議論ばかりを見てきた私にとって、「なぜ老人を介護するのか」という問いが新鮮で購入した。
 私は、介護保険によってサービス利用意識や権利意識が高まったという見方をしている。また、最近は、高齢者の虐待やネグレクトに関心をもっている。だから、「介護は身内のものがすべき、福祉の世話になるべきではない」という規範意識(大岡さんはこれを「家の境界」意識と言っている)が日本には強く残っている、それが、自分の問題関心の出発点だと序に書いているのを読んだときは意外な感じがした。でも、こういう別の見方って、きっと大事。
 未来の労働力ではなく使い終わった労働力としての老人を公的に介護する、それを正当化する論理は、彼によれば「人格崇拝」の観念だ。分業化が進み、複雑化した社会では、個人の多様化も進む。そうしたなかで、私たちが唯一共有できるのは「聖なる人間性=人格」である。だから、私たちは「人格」に価値を与えることになる。「人格崇拝」のもとでは、老人はなんら成果を生み出さなくても、人間性をもつ限り「聖なるもの」であり、聖なるものへの儀礼として、老人の介護を公的財源により行うことが可能になる(2章)。
なるほど。もっとも、これは老人介護だけでなく、年金、医療などすべて政策(つまり、福祉国家)の正当化の論理だけれど。この論理を使えば、老人福祉法の第2条(基本的理念)「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする。」という条件つき敬愛と保障は、大いに批判できる。
この本を読んでいて面白いのは、「人格崇拝」が同時に保障の打ち切りにもつながるという話や、効率性に貢献しうる可能性をもつ人間にのみ「人格」を認める政策が行われる、だが、スウエーデンでは家族にも社会にも貢献しなかった老人を保障をする「国民の家」という論理があった、といった話、さらに、日本の養子制度や無縁仏、共同墓、生まれ変わりという観念の検討などなど、福祉国家の規範意識をめぐって、思考が広く展開していくところである。
福祉は無縁の者を保護・救済するところから始まり、家族のいる者にまで広く援助・支援するものになった、と理解してきた私にとって、なぜ、無縁の者にまで保障するのかを宗教社会学などの観点から検討するという試みは興味深かった。
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