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福祉関連の本の紹介と、ちょっとした福祉にかんする話題を提供するコーナーです

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No91 横山登志子『ソーシャルワーク感覚』弘文堂 2008年

キーワード:ソーシャルワーク、グラウンデッドセオリー

ソーシャルワーカーは、クライエントや利用者に対する「受容」や「共感」が大切、と教わる。でも、ソーシャルワーカーも「生身の普通の人間」なんだから、「受容、共感できない状況」もある。本書は、そういう状況が「あるということを前提にした援助関係論が必要」という問題意識から出発した調査研究の成果である。

1987年の社会福祉士及び介護福祉士法の制定当時、ソーシャルワーク実践にかんする実証的研究は非常に限られたものであった。だから、ソーシャルワーカーたちの実践内容やプロセスがどういうものかは、実践事例報告から推測するか、経験談で知るしかなかった。

それから20年、社会福祉士資格をもつソーシャルワーカーが増加した。横山さんのように、体験を踏まえてその実践を研究する人々も増えてきた。ソーシャルワークを実践するとはどういうことなのか、ソーシャルワーカーとして日々どのように取り組めばよいのか、ソーシャルワーカーとしてのアイデンティティをもつ/もとうとしている実践家たちは、日々の内省を経てこうした研究に着手することになったのだろう。

おかげで、多様な分野におけるソーシャルワーク実践の内容やプロセスが、少しずつ見えるようになってきた。ソーシャルワークを含む援助/支援活動がブラックボックスであった時代は終わった。ソーシャルワークとはどういうものか、研究結果を踏まえて、その内容の適切性や必要性、課題を社会的にアピールできるようになった。と同時に、明らかにされたデータと分析結果を踏まえて、「まっとうな批判」を受ける可能性も広がった。

社会福祉基礎構造改革の前後から、援助・支援活動(サービス)(=善)といえども、アカウンタビリテイ(説明責任)とサービスの質が問われ、評価の対象となってきた。それに伴い、量的調査によるエビデンスを重視するEBP(エビデンス・ベーズド・プラクテイス=根拠にもとづいた実践)が主張されるようになっている。しかし、ソーシャルワークのような多数の要因が複雑に絡む実践については、本書が活用したグラウンデッドセオリーアプローチといった質的調査方法の有効性が高い、、、はず。

本書は、PSW(精神科ソーシャルワーカー)へのインタビューを通して、「ソーシャルワーク感覚」(援助行為に関するソーシャルワーカー自身の意味付けや身体感覚)を、「援助観の生成という長期的な実践経験のなかで見出される感覚」として把握している。あくまでも、PSWの語りを通したPSWのアイデンティティ形成の分析であるので、PSWの実践内容とプロセスそのものは明示されていない。

しかし、本書は本書の目的を達成しており、研究論文として質が高い。困難を承知で言えば、次回は、利用者やその家族、同僚・上司、関係機関職員などとの相互作用の分析を通して、PSWのソーシャルワーク実践の特徴と、他分野のソーシャルワーク実践との共通性を見える形にしてほしい。


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No.86 藤川麗 『臨床心理のコラボレーション:統合的サービス構成の方法』 東京大学出版会2007年

キーワード:学生相談室、協働、コラボレーション、臨床心理サービス

大学の学生相談室というものは、臨床心理士や精神科医(非常勤?)がいて、学生のメンタルな問題についてカウンセリングする場だろう、と認識していた。藤川さんによると、いまは、こうしたクリニック・モデルではなく、統合的モデルが試みられているとのこと。

これは、臨床カウンセリングをおこなう心理カウンセラーと、学習相談を中心におこなう学習相談員(研究/教育者の卵)のコラボレーション(協働)による援助、というモデルである。

本書は、その統合モデルの学生相談システムづくりの過程、異職種間のコラボレーションの実態、運営委員会や大学システムと学生相談室とのコラボレーション、統合モデルにおけるコラボレーションの利点と課題、などをトライアンギュレーションの方法により多面的に説得的に明らかにしている。

得られた知見は、藤川さんが言うように、ソーシャルワークのような他領域にも参考になるものが少なくない。

本書は、自分自身の職場であった学生相談室を調査対象として研究した藤川さんの博士論文である。テーマ設定の説明から始まって、先行研究のレビュー、研究方法についての説明、調査方法、データの的確な分析、結果からのモデル生成、先行研究と照らしてのモデル生成の意義と課題の言及、実践者がおこなった研究についてのリフレクションなど、実践に関する研究と論文作成のお手本だ。

質的研究に取り組むソーシャルワークの研究者、また、自分の職場や実践を整理し分析してみたい、と考えている実践家にとって参考になる。

著者自身も触れているが、実践家である著者による自分たちの実践に関する調査研究のため、情報収集に偏りがないか、異職種間のコラボレーションの活動実態分析がやや表面的ではないか、という疑念は多少ある。しかし、当事者だからこそ、ここまで実践とシステムの全体を総合的にとらえることができたと思われ、その点を大いに評価したい。

No76 森川美絵 『「義務としての自立の指導」と「権利としての自立の支援」の狭間で
――生活保護におけるストリート官僚の裁量と構造的制約―― 』
(三井さよ・鈴木智之編著『ケアとサポートの社会学』 法政大学出版会 2007年)

キーワード:ケア、サポート、自立支援、生活保護、ソーシャルワーク、自立支援プログラム

生活保護制度に、2005年度から「自立支援プログラム」が導入されることになった。生活保護受給者のなかに、従来の「高齢者」「母子」「障害者」「傷病者」として括られる人々ではない人々、つまり、稼働能力をもった長期失職者や「ワーキングプア」が一定数増えてきたからだ。

「自立支援プログラム」にもとづいて、「自立支援」を担うことになる生活保護ワーカー(ケースワーカー、現業員)は、今後、その役割を果たせるのか?

本論は、「自立支援」定着の困難性を実証データによって明らかにしたうえで、困難の要因について検討し、今後の課題について述べている。

実証データは、「自立支援プログラム」導入前に行われたものであるが、それによると、生保ワーカーの約6割が「担当ケースの自立を助長する援助を行うための業務(自立助長の指導、関係機関とのサービス調整、家庭訪問等)」を「行えていない(まったく不十分+あまり行えていない)」としている。

また、「生活保護業務や生活保護行政のあり方について日ごろ感じていること」を自由回答で尋ねた結果では、権利ばかりで義務が果たされていない、という「義務としての自立」を指摘する声が圧倒的で、「権利としての自立」についての記載はなかった。

自立助長の困難と「義務としての自立」の強調は、担当ケース数が多すぎること、ベテラン配置が減少していることなどが主要な原因と考えられるが、「権利としての自立の支援」のためには、生保ワーカーの「自立へのはたらきかけの志向性」に枠を与える「指針」の整備が求められる。

森川は、ストリート官僚としての生保ワーカーの裁量と、業務指針との関係について言及しながら、自立支援が各自治体任せではなく、法や実施要領などで標準化していく必要性があると論じている。

「自立支援」においては、利用者の置かれた状況の多様性や利用者の状況への意味づけなどに配慮し、個々の利用者に応じた支援の中身や技法が問題となる。生活保護制度の執行に、一般事務職ではなく、社会福祉主事という任意資格をもった「専門職」を配置するのは、受給者の個別性を前提とし、ソーシャルワークの技法を活用して「自立助長」を目指そうということであった。つまり、法制度には盛り込めない個別の「援助」を、「専門職」を配置し、法制度枠内の裁量の範囲で実施していくということだ。「自立支援」の技法をプログラムレベルではなく、技法レベルで標準化し、制度化するとしたら、どういうふうになるのだろう?

いずれにしても、ソーシャルワーク論の一般的なテキストでは、森川の言う「権利としての自立支援」を価値前提として、そのための技法をもっぱら説明してきた。しかし、現実は、森川らが明らかにしたように、それは行われてはおらず、ワーカーは「義務としての自立指導」の必要性を主張している。そういう現状を押さえたうえで、現状を変えるとしたら、何をどうしたらよいのか(制度、組織、実践者、援助技法のそれぞれのレベルで)。森川らのような実証研究を踏まえた議論を、ソーシャルワーク論でももっと行うべきだろう。

三井らの『ケアとサポートの社会学』には、他にも興味深い論文が少なからず入っている。

No52 向谷地生良 『「べてるの家」から吹く風』 いのちのことば社 2006年

キーワード:べてるの家、精神障害者、当事者研究、仲間の力、ソーシャルワーカー

べてるの家については、本もVTRもたくさんある。それでも新しく出た本書を買って読んでみたいと思わせてしまう魅力が、べてると向谷地さんにはある。

ソーシャルワーカーであり、キリスト者である向谷地さんは、ティリッヒの説;ソーシャルワーカーの実践、すなわち、人を愛するという営みは、困難に陥っている人を「引き上げる業」としてあるのではなく、そのなかに「降りていく業」として現さなければならない、を紹介している。

人間はひたすら「死ぬ」という連鎖のなかで生かされている、「にもかかわらず」生きようとすることが「存在への勇気」であるというメッセージが、ソーシャルワーカーとしての実践の礎となってきた、と向谷地さんは言う。

また、次のようにも言っている。人を「愛する」とか「信じる」ということは、もっとも愛しにくく、もっとも信じにくい状況、すなわち絶望からもたらされる。「にもかかわらず」愛し、信じることが問われている。「愛しやすいこと」を愛し、「信じやすいこと」を信じることから回復ははじまらない。

その向谷地さんにとって、ソーシャルワーカーら援助専門職は、この意味で「『人を愛する』ということを職業的に志す人たち」である。

こうした向谷地さんの人間像やソーシャルワーク論は、べてるの家やその仲間の話のなかでとても自然に聞こえる。

かつて、ラップたちは、精神障がいをもつ人々のもつストレングス(強み、良さ、長所など)に焦点を当て、そのストレングスを活かすよう支援していくというストレングスアプローチのケースマネジメントを主張した。

発展型の近代的人間像、裏切りや翻弄のなかの不信・苦渋・絶望を想定すらしない「能天気な」調整型のソーシャルワーク論が、少し貧相に見えてくる。
No12 パム・スミス・武井麻子/前田泰樹監訳『感情労働としての看護』ゆるみ出版、2002年

キーワード:感情労働、ケア、ケアリング、看護

   ホックシールドの明らかにした感情労働は、看護労働を行う看護婦にもケアあるいはケアリングとして期待されている、しかし、それは看護婦=女性としての資質としてもたらされるものであって、教育されるものではないと考えられている、だから、看護学生たちは病棟婦長が患者や学生たちに示す態度や雰囲気のなかでそれらを学んでいく。その途上で、看護学生は自分の感情の管理で苦労することが少なくない。本書は、こうしたことを具体例を示しながら説明している。
安全な場所で気遣われているという感覚を患者にもたらすような感情労働、患者の心理的ニーズや感情を知り理解しよう、共感しようとするような感情労働は、「女性の資質」に任せるというものではなく、心理学や社会学などの理論的基盤や高度な対人能力の獲得を基本とした公式で体系的なトレーニングやスーパービジョンが必要だと著者は言う。これって、ソーシャルワーク教育のなかで、援助関係の原則とか関係づくりのスキルとしてずっと教育してきたことではなかったか?
ソーシャルワークでは、女性ならだれでも自然にできることとは考えず、公式に教育してきたから、これまでに『感情労働としてのソーシャルワーク』といった本は出版されることがなかったのか。それとも、ソーシャルワークを労働としてとらえる視点が弱かったからか。しかし、わが国のソーシャルワークおけるケアリング技術の教育も、実際には、長時間の実習を通して身につけていくのではなくきわめて不十分なものだ。だから、経験の浅いソーシャルワーカーは、利用者の心理的ニーズや感情をどう理解してよいか、どう対応してよいか不安になり悩むことも少なくない。ソーシャルワーカーのメンタルヘルスも、もっと考えられていい。
本書の解題を執筆した武井さんは、問題を抽出して看護計画を立案し、実行して評価するという看護過程(看護の問題解決過程)がワークメソッドとして強調されると、患者にとって感情労働としてのケアが重要であるということがおろそかになっていく、というようなことを書いている。この点は、今、ソーシャルワーク教育のなかでも指摘されている。

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